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日本思想史研究会(京都)のブログ

本研究会は立命館大学を拠点に、歴史学・思想史の問題について時代・地域に捉われることなく、深く考えていく場として設立されました。2014年度後期例会は、個人研究テーマ報告です。

2018年11月13日(火)例会予告

論題:加藤周一における「藝術」の戦後思想

報告者:福井優

要旨:
 評論家、加藤周一(1919–2008)は、文学・政治・社会といった広範にわたる領域を縦横に論じた戦後知識人だが、『芸術論集』(岩波書店、1967年)、『日本その心とかたち』全10巻(平凡社、1987–88年)に代表されるように、とりわけ藝術に関する強い関心を持ち続け、評論や研究を精力的に展開した。本報告では、これまで本格的に論じられることの少なかった加藤の藝術論に焦点を当て、同時にその思想的営為が、戦後日本における人間や社会の変容という問題に深く根差すものであったことを論じる。
 したがって、本報告の問題の所在は、戦後日本に対峙し続けた加藤が、藝術的創造や藝術的感性、また日本の伝統的藝術に、どのような可能性を見出そうとしていたのかである。以上を踏まえ、具体的には、①加藤は高度成長による1950年代後半の日本社会や人間の変容をどのように受けとめていたのか、②それに抵抗するために藝術の重要性を説いた加藤の藝術論とはどのようであったか、③加藤が見た日本の伝統的藝術の可能性とはどのようであったか、の3点について検討し、今回は①②を中心に報告する。

参考文献:
・加藤周一『加藤周一著作集11 藝術の精神史的考察Ⅰ』平凡社、1979年
・加藤周一『加藤周一著作集12 藝術の精神史的考察Ⅱ』平凡社、1978年
・加藤周一、鷲巣力編『加藤周一著作集19 藝術における伝統と現代性』平凡社、1997年
・加藤周一、鷲巣力編『加藤周一著作集20 日本美術の心とかたち』平凡社、1997年
・都築勉『戦後日本の知識人――丸山眞男とその時代』世織書房、1995年
・小熊英二『〈民主〉と〈愛国〉――戦後日本のナショナリズムと公共性』新曜社、2002年
・鷲巣力『加藤周一を読む――「理」の人にして「情」の人』岩波書店、2011年
・趙星銀「「高度成長」反対――藤田省三と「一九六〇年」以後の時代」『思想』1054号、 2012年
・海老坂武『加藤周一――二十世紀を問う』岩波新書、2013年
・小関素明「加藤周一の精神史――性愛、詩的言語とデモクラシー」『立命館大学人文科学研究所紀要』111号、2017年
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2018年度日本思想史研究会特別講演会(一)

2018年度の研究会助成プログラムの一環として、11月6日に特別講演会を開催致します。

テーマは、「近代国家に於ける儒教と神道」です。

論題1:「教科書としての明清聖諭――近代日本学校教育における明清聖諭の受容と変容」
講師:殷暁星(立命館大学衣笠総合研究機構)

論題2:「長沢雄楯と稲荷講社――月見里神社史料からみる活動認可過程と社会的意義」
講師:石原和(国立民族学博物館)

皆様の御参加をお待ちしております。

2018年年度日本思想史研究会特別講演会(一)
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2018年10月30日(火)例会予告

論題:佐々木惣一の憲法解釈:「国民」・「国家」を巡って――『帝国憲法』から『日本国憲法』へ

報告者:路剣虹

要旨:
 八〇年代以来、「文化立国」という国家イデオロギーへの提起と共に、「国民国家論」に対する批判も高揚して来た。「国民国家」の内核は統合された国民的イデオロギーと同時にナショナリズムともいえる国民的感情である。一見すると日常生活と遠く離れるような国民的感情の形成は日常生活を通して国家に育てられるものである。しかし一方、歴史的には、民族独立及び民主主義など、所謂国民の独立及び国民思想を向上させようという議論の中に含まれているナショナルな要素を徹底的に排除することは難しい。
 道徳的・道理的にいえば、人間にとって永遠に追求している「幸福」は、もし単なる個人的・私的なものになればエゴイズムに落ちいる故に、我々は一人の人間として、個人的自由や向上(全体主義に抵抗)及び人間性である愛(エゴイズムに抵抗)が同時に期待されている。それは、従来民衆の「勤勉」、「倹約」という禁欲的道徳訓や「奉公」の思想、そして近代に於いては「理性」「公共性」として現われ、近代以後は特に個人の内的世界における私的権利意識と公的責任観の統一との融合が求められる。公的責任は必ず共同体内部に実現しなければならないもので、個人的自由との衝突が避けられない。その場合、個人としての「国民」は如何にその矛盾を調和できるか。言い換えれば、日常生活の「邪魔者」とも見なされるナショナリズムは何故人々に受容されるか。国民国家論を超えるために、国家・国民を超えるために、まず以上のような問題を考えなければならない。特に「戦後」という激変する時代において、知識人はどのような国民イデオロギーを再建しようとしたのかという問題を考察する必要がある。
 本稿は、その一例とする佐々木惣一の持論を取り上げ、憲法学における「国民」・「国家」の存在のあり方及びイデオロギーの特徴を分析し、戦後日本知識人による国民イデオロギーを再構築する過程を思索したい。

参考文献:
・盛秀雄『佐々木惣一博士の憲法学――帝国憲法論から日本国憲法論へ――』成文堂、一九七八年
・尾高朝雄『国民主権と天皇制』国立書院、一九四七年
・佐々木惣一『立憲非立憲(国民普及版)』弘文堂書房、一九二〇年
・佐々木惣一『日本国憲法論』有斐閣、一九四九年
・佐々木惣一『立憲非立憲』呉PASS復刻選書九、一九五一年
・松尾尊兌「敗戦前後の佐々木惣一――近衛文麿との関係を中心に」 、人文学報 (九八)、二〇〇九年
・伊崎文彦「戦後における佐々木惣一の平和論――『自衛戦争・自衛戦力合憲』論者の平和主義」、 市大日本史 (九)、二〇〇六年
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2018年10月23日(火)例会予告

論題:義満期の改元問題

報告者:馮志超

要旨:
 室町期の公武関係について、90年代からすでに権限吸収論(武家政権による公家政権の吸収)が再検討され、同じく公武対立史観も問題となった。その結果公武の一体化・融合を表す公武統一政権論がその流れで通説化している。こうしたことから、権限の掌握者を一元的に捉える見方は克服されたとは言えよう。しかしながら、室町期全体を公武統一政権論あるいは権限吸収論から説明しようとすると、いずれも無理が生じる。狭義的に言えば、義満の朝廷復興政策と上皇・法皇のように振る舞う尊大な姿勢とを一つの枠組みで説明することは難しい。つまり、公武関係に時期差を加えてみると、従来の直線的な公武関係論の理解には問題が生じる。 
 それに、改元問題も常に、公武関係論の変遷の流れの中で語られてきた。従来室町期の公武関係を論じるために、権威・権力を考察する一要素として改元問題が取り上げられる。権限吸収論の文脈では、改元にたいする武家の発言権が強力である。更に今谷氏によると、もともと天皇の権限である改元権を義満がまるごと吸収して、天皇には改元詔書の様式上の名残りをとどめているだけと論じ、義満の皇位簒奪論につなげていく。その後、皇位簒奪論・権限吸収論の検討では、久水氏は改元権を発議権と選定権に分けて、まず発議権を上級公卿に所在すると指摘した。そして、選定権について公卿たちが能動的に関与していることに対し、天皇は受動的な立場として機能していると論じる。公武の関係も統一政権論にそって、武家の「権威補強」と公家の「公事維持」の相補関係であると結論付けた。
 本報告では、時代の変化に注目しつつ、義満期の改元問題を取り上げる。まずは義満期の年号問題を取り上げ、久水論の検討から出発して、改元問題の実態に迫り、改元問題における権力構造を明らかにする。そこで、改元の担い手として公家の中にも、年号案を提供する年号勘者や、尤も改元権限の中枢にある杖議参列の公卿たちと、名義的に改元大権を握っている天皇との間には、複雑な権限のカラクリや権力による干与が見られる。そして、もともと外部にある武家からも、改元発議から元号の中身、改元定の審議まで改元干与が深まってゆく。その構造の解剖によって、次の改元権力者の検討に導いていきたい。

参考文献:
・小川剛生「年号と義満――韻鏡のいたずら」(同『足利義満 : 公武に君臨した室町将軍』中央公論新社、2012年)
・北爪真佐夫「元号と武家」(同『文士と御家人:中世国家と幕府の吏僚』青史出版、2002年)
・今谷明「改元・皇位への干与」(同『室町の王権』中央公論社、1991年、初出1990年)
・滝川政次郎『元號考證』永田書房、1988年、初出1974年
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2018年10月9日(火)例会予告

論題:近世中後期の対馬における自己認識の形成と「藩屏」論――対馬の史書叙述を通して

報告者:松本智也

要旨:
 本報告では「藩屏」を鍵語として近世中後期の対馬藩における自己認識の形成を検討する。十八世紀初頭、交易銀の輸出をめぐる新井白石(一六五七~一七二五)と雨森芳洲(一六六八~一七五五)の論争のなかで、芳洲や対馬藩は「対馬藩は古来より「藩屏第一の要地」として肝要の地にあり、その武備を充実させるために日朝貿易が当然許さるべきことだ」と主張した。芳洲は対馬藩宗家が果たした重要な役割を徳川政権に理解してもらうべく、日朝両国で果たしてきた対馬藩の歴史的役割を明らかにし、「藩屏之地」対馬への注意を喚起した。論争の過程で打ち出された芳洲独自の対馬藩経済理論(「芳洲理論」)は、中世いらいの貿易主体型から、物成を基本に据えた領主経済型へ移行させようとするものであった。「芳洲理論」は以後の対馬藩にとって、幕府交渉のための指南書的役割として永く生き続け請願理論の中核を占めるようになる。近世中後期の対馬における「藩屏」論はこのように経済史の文脈で発議された議論ではあるが、じつは対馬の自己認識の形成をめぐる問題へも波及する。
 芳洲のいわんとする「日本の藩屏」たる対馬の位置づけは次の三点に整理できる。①対馬は外国にたいする「日本の藩屏」として防衛を担ってきた歴史的な由来がある。②対馬は徳川家康の時代から「日本の藩屏」という役儀を預かってきた正統性がある。③対馬が「日本の藩屏」たるためには経済的な保障が必要である。しかし芳洲はあくまでも論理的操作として歴史的由来を付したにすぎず、芳洲の議論の根拠が不確かであることについては芳洲の弟子の満山雷夏(一七三六~九〇)が批判する。雷夏は芳洲の議論が「事実に拠」らず、「往古の古誼遺例」「古例」が具体的に述べられていないので、徳川政権にたいし対馬への経済援助を求める議論としては説得力を欠いていると批判する。この議論に説得性を持たせるためには、対馬が「日本の藩屏」たることの歴史的根拠を明示することが必要であるが、その歴史的根拠が不足していると雷夏は批判した。じつはここには対馬における史書編纂をめぐる問題提起も含まれているのである。そこで本報告では、「藩屏」としての自己認識が対馬における史書すなわち陶山訥庵『津島紀略』(一六八六)、藤定房『対州編年略』(一七二三)、平山東山『津島紀事』(一八一一)にどのように表れ、芳洲と雷夏の問題提起をどのように反映しているのかを検討し、もって近世中後期の対馬における自己認識の形成過程を考察したい。
※なお本報告内容は構想中の博士論文の第三章第三節に相当する部分となる予定である。

参考文献:
・田代和生「対馬藩経済思想の確立」(『日朝交易の対馬藩』創文社、二〇〇七年 初出は二〇〇〇年)
・鶴田啓『対馬からみた日朝関係』(山川出版社、二〇〇七年)
・石田徹「対馬藩における帰属意識と日朝関係認識――訥庵・陶山庄右衛門を中心に」(明治学院大学国際学部付属研究所『研究所年報』一三、二〇一〇年)
・松本智也「対馬藩儒満山雷夏の自他認識――「藩屛」論と「礼」論より――」(『立命館文学』六五五、二〇一八年)
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