日本思想史研究会(京都)のブログ

本研究会は立命館大学を拠点に、歴史学・思想史の問題について時代・地域に捉われることなく、深く考えていく場として設立されました。2014年度後期例会は、個人研究テーマ報告です。

12月15日例会報告要旨

論題:「「東アジアの覚醒」と「大正デモクラシー」の相克と相乗
    ―大正期における三一・五四運動へのメディアと知識人の認識を手がかりに―」
報告者 張琳

 1919年で勃発した植民地朝鮮の「三・一運動」及び中華民国の「五・四運動」に関しての先行研究の蓄積は厚い。しかし近年歴史学研究における認識論的・情動論的転回によるメディア史研究の進展に伴い、運動の実態とともに、同時代のメディアのなかで表象された運動像、メディア側での報道手法、メディア権力批判、あるいは人々の認識、感情、反応、行動については研究されるようになりつつある。ただ常に看過されているのは、この特殊な時期の国際的・外部的動向である。とりわけ「パクス・ブリタニカ」の崩壊を象徴する第一次世界大戦におけるアメリカの台頭は、この時期の後進帝国日本にとって、意味の深いものであった。戦後、さらにアジアでの勢力拡大を求める日本は、必然的に新しいヘゲモニー国家アメリカと遭遇する。加えて19世紀末から海洋覇権を「発見」し、第一次世界大戦後積極的に海洋国家を目指すアメリカは、19世紀末から唱えられ始めた「黄禍論」 の影のもとで、日露戦争以降アメリカによる日系移民制限など人種的差別政策は戦後一層熾烈に展開されるなか、帝国日本と(半)植民地の関係は、常にこのスーパーパワー源との緊張関係の規定の中で展開されている。さらに1918年夏のシベリア出兵に対するロシア側および朝鮮義兵の挟撃も、1919年から1920年にかけて帝国日本のジャーナリズム界にとっては「排日」に違いないと認識されていた。大戦後、勢力拡大の動きにおける一連の挫折によって、一時期日本は「四面楚歌」の境地に陥るなか、メディアナショナリズムの高まりないし大衆・知識人のナショナリズムの高揚は不可避のものとなっていく。危機感に駆り立てられた知識人は「帝国改造」を高唱しつつ行動し始め、「大正デモクラシー」と護憲運動の風潮、コスモポリタニズムや社会主義に基づくインタナショナルな連帯の試み、アジア主義の国内への旋回はこの時期の思想界の主旋律となる。当該期このようなメディアと知識人両方の動向は極めて顕著な形で現れてきたのにも関わらず、先行研究では具体的、あるいは両者を関係付けて取り上げられたことは殆どない。本論文では「三・一運動」「五・四運動」という植民地・半植民地のナショナリズム運動に対し、「白虹事件」後、中立・慎重路線に傾けた『朝日新聞』の論調変化及び両運動を真正面から受け止め、「帝国改造」を唱えて積極的な行動をも見せる二人の知識人――北一輝と吉野作造を取り上げることによって、「後進帝国」と「植民地」間のナショナリズムの衝突と葛藤を明らかにし、「後進帝国」ナショナリズムに表象された、列強の人種主義的論理を内面化して転嫁する「植民地」に対した人種的蔑視、憎悪、鎮圧、弱者への同情、反抗者への懐柔、そして「先進帝国」へ強者入りの渇望、アジアを引導する自負、また列強の翻弄に由来した反発といった複雑な時代状況下に生まれたアンビバレンスな感情と思潮を一部再考した。
 
文責 張琳

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