日本思想史研究会(京都)のブログ

本研究会は立命館大学を拠点に、歴史学・思想史の問題について時代・地域に捉われることなく、深く考えていく場として設立されました。2014年度後期例会は、個人研究テーマ報告です。

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10月20日 例会報告要旨

論題 「荻生徂徠と明代「擬古派」」
報告者:石運
要旨
荻生徂徠の学問は後人によって「古文辞学」と呼ばれているようになったのだが、これは江戸時代の記録からすでに見られる。徂徠が自身の学問を「古文辞学」と称した記録について、現在確認した範囲では、『譯文荃蹄初編』の序文にある一回のみである。他の場合、彼は「古文辞」という言葉を愛用したにもかかわらず、自分の学問を二度と「古文辞学」として概括しなかった。そこには、彼の「古文辞学」という表現に対する複雑な思いが隠されているのであろう。従来の徂徠学研究において、徂徠と李・王 との関係(徂徠と明代古文辞学との関係として表現する場合が多見である)が一つの重要な課題として多く検討されてきた。吉川幸次郎氏や片岡龍氏、また藍弘 岳氏の研究によって、両者における緊密な関係が十分に明らかにされた。先学の指摘によれば、それは「中国明代の古文辞学派からの強い示唆のもとに」、「四 十歳頃における古文辞学との出会いから五十歳過ぎにおける思想的飛躍(徂徠学の成立)へと至る知的過程」として、李・王が徂徠の学問形成にもたらした影響をこのように捉えている。しかし、以上の研究は観察の視角が異なるにもかかわらず、結局は徂徠が李・王の学を受容して、自らの学説を立ち上げたというように簡単に収拾してしまった。これでは徂徠は李・王 の学問に対する態度の変化について十分に捉えなかったことになる。言い換えれば、先行研究における「文学者」としての徂徠には、如何に「政治家」、「思想 家」への変身を遂げたかについて、詳細な論述がないため、少し唐突な印象を与える。宇野田氏の研究はこの面に若干触れている。氏は徂徠学における方法論的 な変換に注目した。李・王 から摂取した「擬古主義」という方法論により、徂徠の学問に一つの飛躍があったとする。しかし、氏の問題関心は江戸の儒学社会における徂徠学の展開という 所である故、上述の問題を更に展開して議論を行わなかった。宇野田氏と同じくこの問題を意識した高山大毅氏は、「修辞」と「礼楽」を二つのキーワードとして挙げて、両者の関係を解明しようとした。 氏は宇野田氏の研究よりさらなる一歩を踏み出し、徂徠の「擬古」という方法論が如何に「礼楽制度」の構成に使われたかを論じた。そのほかに、氏は江戸の社 会背景からその源泉を求め、徂徠がもっていた「制度」の構成に対する強いこだわりの理由等の問題を提起し、徂徠の政治論に関して有意義な検討を行った。しかし、高山氏の議論は基本的に徂徠を徳川日本という社会に限定し、その思想の形成経緯を検討するものである。徂徠思想の「日本性」を描こうとする本意がないとはいえども、結局そのようなイメージが残されてしまう。 では、徂徠はどのように明代擬古派たちの「古文辞」を理解しているか、またそこからどのように自分の学説を構築したか等々の課題が、現段階ではなお十分に解明されていなかった。以上の問題意識を抱えながら、徂徠の著作から彼自身における明代擬古派に対する認識、またそれを土台とする自身の学説をめぐる陳述を整理してみよう。

文責:石運

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