日本思想史研究会(京都)のブログ

本研究会は立命館大学を拠点に、歴史学・思想史の問題について時代・地域に捉われることなく、深く考えていく場として設立されました。2014年度後期例会は、個人研究テーマ報告です。

2015年10月22日 例会報告要旨

中村習斎の喪祭論覚書
松川雅信
 中村習斎(一七一九~九九)、名は蕃政。兄厚斎とともに、三宅尚斎(一六六二~一七四一)の高弟蟹養斎(一七〇五~七八)に師事した、崎門派の流れを汲む尾張藩儒である。その門流からは後に、中村得斎(生没年不詳)が出ており、彼が幕末の尾張藩主徳川慶勝(一八二四~一八八三)に献上した全四百巻からなる『道学資講』の存在は、大変よく知られていよう。
本報告では、習斎が晩年に著した『喪礼俗儀』『祭礼小儀』という喪祭儀礼手引書に注目することで、日本近世中後期において、儒教儀礼の実践がどのように試みられたのかという問題についての基礎的考察を試みた。
 習斎が念頭におく喪祭儀礼とは、とりもなおさず朱熹『家礼』に範をとるものであった。彼が残した『家礼自読記』『家礼講義』『家礼新図』『家礼改図』『家礼図評』等の一連の著作・講義録には、『礼記』『儀礼』等に加えて、『家礼儀節』のような明代の『家礼』改訂本、さらには『泣血餘滴』『追遠疏節』『喪祭小記』『家礼訓蒙疏』といった先行する近世日本儒家の手になる『家礼』関係書が引用されており、彼の『家礼』研究の浩瀚さをうかがうことができる。
 しかしながら、上述の二つの手引書は、必ずしも教条的に『家礼』に載る喪祭儀礼の実践を強いるものではなかった。むしろ習斎は、近世日本社会に既存の「習俗」や、あるいは朱熹『家礼』が激しく論難した仏教までをも内にとり込む形で、儒教的喪祭儀礼が実践されることを志向していたのであり、彼にとってそれは決して「朱子の意」に悖理することとは考えられていなかった。無論、儒家である以上、他方で「孝」に反する行為等は徹底して論駁されており、たとえば「薄棺」・火葬等の非がつぶさに論じられていた。これらからうかがえるのは、習斎が「習俗」・仏教といった既存の社会的枠組みに依拠することによって、儒教儀礼の普及を企図していたということであろう。ほぼ同時代の懐徳堂学派が所謂「無鬼論」を提唱することによって、民間世界の宗教的信仰を排し、あくまで徹底した儒家知識人としての立場からの儒教儀礼を提唱していたことと比較してみるなら、本報告に瞥見した習斎の存在は、けだし民間世界に依拠することで自らの存立基盤を模索せんとした儒家の一例として考えることができるのではなかろうか。

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