日本思想史研究会(京都)のブログ

本研究会は立命館大学を拠点に、歴史学・思想史の問題について時代・地域に捉われることなく、深く考えていく場として設立されました。2014年度後期例会は、個人研究テーマ報告です。

2015年1月15日井上報告につきまして

近世後期における真宗寺院の社会的役割―北関東移民「入百姓」の導入過程を題材として―
報告者:井上 幸子


本報告は、近世後期の北関東で広範囲に導入された、真宗門徒の「入百姓」という移民の導入過程を通して、当該期の寺院、特に真宗寺院の社会的役割の一端を考察するものである。
 
近世後期には荒れ地が多い北関東や北陸の農村復興策の1つとして、幕領や私領において、北陸真宗門徒の移民(以下「入百姓」とする)が実施された。この入百姓という言葉自体は、近世おいて荒れ地の多い村に他村から移住し耕作した農民をさす。18世紀末の寛政期には、天明の飢饉に代表される度重なる饑饉による人口減少、商品経済の発展に伴う労働力としての江戸への人口流出、などが原因となり、北関東・東北の農村は農地の荒廃が著しかった。そこで、この地域の幕領代官、私領の藩主たちは、逆に真宗の信仰に基づき子供を「間引く」事を極端に嫌い、そのため農村には次男・三男と人口が増大し、耕地縮小で困窮していた北陸真宗門徒の入百姓を寛政期以降、領地に導入していった。
 この問題はすでに、幕政や藩政改革といった経済政策の側面から、様々な先行研究が発表されてきた。自治体史編纂においても、各地域の入百姓の実態が紹介されており、村に残る史料は概ね集成されている。しかし何故真宗という仏教宗派が関わった結果、入百姓たちは、現在でも集住地の集落を形成し、定着しているという効果を出すことができたのか、という疑問には、信仰に導かれた門徒の倹約生活を成功の要因とする論考が多い。それも要因の1つとは考えられるが、個々人の努力のみに理由を求めるだけでは不十分である。近世の封建制度下において農民の移住には大きな困難を伴うともされてきた。それにも関わらず移民が可能になったことについて、真宗の各本山からの積極的な働きかけを想定すべきであり、まず、この働きかけの状況を精査していくことが、近世期における真宗寺院の社会的役割を示す糸口になると考える。

〔参考文献〕
『親鸞と東国門徒』今井雅晴 吉川弘文館 1999年
『蓮如』神田千里 山川出版社 2012年
「北陸門徒の関東移民」『史林』第33巻6号 五来重 1950年
「常陸国稲田西念寺の入百姓資料」『地方史研究』第12巻6号 坂井誠一 1984年
「寛政六年~天保元年 下野国八条村掛所記録」
『栃木県史 史料編 近世三』栃木県 1975年
「入百姓と浄土真宗」『牛久市史近世編 第7章第7節』田海幸子 2002年
「即乗跡譲渡取調一件帳」『新潟県史 史料編10 近世五 流通編』新潟県 1984年

PageTop