日本思想史研究会(京都)のブログ

本研究会は立命館大学を拠点に、歴史学・思想史の問題について時代・地域に捉われることなく、深く考えていく場として設立されました。2014年度後期例会は、個人研究テーマ報告です。

2014年10月23日例会報告要旨

本報告では1920年代の政軍関係を、文民統制か軍部の政治介入という二項対立的な発想で検討するのではなく、軍部大臣の二重性格、つまり内閣を構成する国務大臣、そして全軍人を代表する軍部大臣という二重性に着目し、1921年の臨時海軍大臣事務管理問題や1925年の貴族院における陸海軍大臣の統帥権輔翼に関する論争から検討した。
臨時海軍大臣事務管理問題では、陸海軍において見解を異にし、海軍は内閣官制第9条に基づき首相による海相事務管理を認め、陸軍は内閣官制第7条に基づき軍部大臣は統帥権輔翼に関係するために反対とした。結局、陸海軍はそれぞれで見解を異にすることを容認する、両論併記の形で解決となった。しかしここにおいて包含されていたのは、軍部大臣の権能たる統帥権の輔翼は国務大臣の権能か、それとも統帥権輔翼は軍部大臣としての権能かという議論であり、前者は海軍のそして後者は陸軍の見解であった。
1925年の貴族院における陸海軍大臣の統帥権輔翼に関する論争において、政党内閣たる加藤高明内閣は陸軍型の見解を採ることとなった。ここにおいて、戦前「政党内閣」制は純政党内閣への一里塚としての国務大臣による統帥権輔翼を可能とする見解を採らず、純政党内閣への道を放棄したと言える。しかし同時に、これによって日本型の「政党内閣」制は確立し、政軍協調体制の基盤を成立させたのであり、また清浦奎吾内閣に図られた陸軍における陸軍大臣の権能強化とあわせてみた時、戦前日本の政軍関係は政党と二重性を持った軍部大臣が「政党内閣」へと合流することで、政軍協調体制を形成したと言える。そして日本型政軍関係はロンドン海軍軍縮会議にて頂点を迎え、崩壊を迎えていくこととなった。

文責:山口

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