日本思想史研究会(京都)のブログ

本研究会は立命館大学を拠点に、歴史学・思想史の問題について時代・地域に捉われることなく、深く考えていく場として設立されました。2014年度後期例会は、個人研究テーマ報告です。

7月11日例会討論要旨

今回は、松川雅信氏から「『方法としてのアジア』を考える」という題目で報告がなされた。まずはじめに、「竹内にとって日本とはアジアの中で語られる存在であるのか如何」という「竹内にとっての日本とアジアの位置づけ」に関する質問があった。報告者が、竹内においては、日本はアジアとは一定程度の距離感をもって語られているという趣旨で回答したのに対し、さらに質問者から、報告の中で引用された子安宣邦氏の議論について言及がなされる形で議論が展開された。この議論は、他のフロアを交えながら、子安氏の問題提起と竹内好のそれについて、主にその相違点を焦点とする形で収斂し、「子安氏が近代を問う際の氏の問題意識を考えなければならない」という形で落ち着いた。
さらに、別のフロアから、竹内が梅棹忠夫に言及している点について、竹内の梅棹評価に関して質問があった。これは竹内が梅棹の言説に関し「半分支持する」と発言したことの意味を問うたものであるが、これに対し報告者は、竹内のいう梅棹説への評価とは、アジアを単一的に捉えることへの懐疑という点での一致ではないかとの応答がなされたが、その後の議論において、竹内と梅棹の言説は問題意識や方法論的にその背景を異にすると思われるため、「半分」という意味については、より慎重に考えていくという形で報告者と質疑者は意見の一致をみた。
また、竹内の明治維新への評価をめぐってその意味を問う質問があった。これは、竹内の明治理解をはじめ、広くはその歴史認識のあり方としても一つの命題であるとした上で、主に「明治維新を如何に評価するのか。またその意味するところはなにか。」といった点を焦点に議論がなされ、質問者は竹内の明治維新への評価が、もしも西欧をモデルにした国造りへの評価とすれば、ある意味でそれはあるべき近代像を措定していることにはならないかといった趣旨の問題提起をし、それに対し報告者は、「ナショナリズム」というものの評価に関わる文脈で理解すべきではないかと応答する。それに対し、フロアから、「ナショナリズム」という言説の位置づけをめぐって、50年代~60年代の明治維新研究の紹介がなされた上で、当時の研究者の意識として、明治維新研究は、西欧列強の外圧への対応という意味において、アジアという共同体験的文脈のなかで日本を語り得る点で意味を持っていたことを述べ、それはまた60年代以降の日本をめぐる近代化論で語られるような日本をめぐる非アジア的位置付けを志向するような議論とは区別されるとし、前述の議論と当該期の言説との相関関係の面白さを指摘した。
総じて、報告者の「“アジア”はいかに今日日の“方法”たりえるか?」という問いに対し、フロアそれぞれの問題意識を交えて率直な意見交換がなされた点で、有意義な議論だったのではないかと思う。

文責:風間健

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