日本思想史研究会(京都)のブログ

本研究会は立命館大学を拠点に、歴史学・思想史の問題について時代・地域に捉われることなく、深く考えていく場として設立されました。2014年度後期例会は、個人研究テーマ報告です。

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11月1日例会報告要旨

本報告では中村が「敬天愛人」という形をもって受容したキリスト教について考察を加えてみた。

まず、明治初期における啓蒙思想家たち(主として中村正直、津田真道、西周、福沢諭吉)の宗教に対する理解を考察した。中村は積極的にキリスト教の信仰内容を伝道し、津田はキリスト教を不開化の民を善道に導くものとして捉えている。この意味において中村は津田と同じ、「キリスト教」を「文明」として理解し、それを近代国家形成の原理とみなしたのである。西周は政教一致を批判し、福沢はキリスト教が、日本の国家の利害に反するものだと批判した。同時代の啓蒙思想家と比較しながら、中村はキリスト教を日本の近代化に役立つものと見なしたことはより明らかになったと思われる。

次に、中村の理解したキリスト教に検討してみた。アメリカの宣教師ウィリアム・マーティンの書いた『天道遡原』は、中村の「敬天愛人説」と『請質所聞』とほかの論文の内容にかなり重なり合う所がある。とりわけ、超越者に関する同じ用語が多い。しかし、中村は父なる神を「上帝」として理解したが、母なる聖霊と子なるキリストには全く理解していなかった。彼の敬天愛人思想も、イエス・キリストを媒介することのない儒教的敬天と愛人であり、敬天と愛人とを強力に結合すべきキリストは、存在しえなかった。

文責:王

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