日本思想史研究会(京都)のブログ

本研究会は立命館大学を拠点に、歴史学・思想史の問題について時代・地域に捉われることなく、深く考えていく場として設立されました。2014年度後期例会は、個人研究テーマ報告です。

12月13日例会討論要旨

今回は、「幕末国学言語論の思想的位相――言葉の始原とコスモロジー」という題で岩根卓史氏により報告がなされた。質疑において、まず、報告の主題となった「言霊音義派」について、この意味を確認する質問があった。それに対し、報告者はこれを、「宣長以降の国学者の中でも言霊信仰に根差したものの再検討を行ったもの」と説明した。続いて、大国隆正の言説について、これを「言語秩序の問題の〝転倒〟」と評したのは、宣長を念頭に、「音」の先駆性よりもまず「文字」の存在をいうということか?という質問があり、報告者はこれを肯定した。

また、富樫広蔭の「言霊幽顕論」について、その同時代的意味をたずねる質問があった。これに対して報告者は、篤胤との論争を引き合いに出しつつ、富樫的な解釈では声の生成の提示が彼なりの独自性を示していることなどを解説した。一方、「史料」について、その史料の状態に関する質問が出た。これについて、「言霊幽顕論」は稿本であること。またこれら史料の流布について言及がなされ、その影響力について議論が及んだ。

さらに、言霊音義派の意義をたずねる質問、すなわち、宣長以降の言語における「皇国の論理の再解釈」という報告者の言及について、宣長という存在を考えたとき、これをどう考えるのかという点についてこれは興味深いという意見が出ると、国学における「宣長の影響力」という命題について議論に花が咲いた。

その後、「言葉の始原とコスモロジー」という文脈において、富樫広蔭の「う」の発音を声の始原とする意見についてその論拠を問う質問があった。それに対し報告者は、この富樫の言説ついて、この論拠を断定的に答えることができないとしつつも、どの音を重要視するかという点は人それぞれだが、その意味付けには彼らなりの独自性があるという点を述べた。これに対し、国学のほかに儒学的な解釈はあるのかという質問が別にフロアから出た。これに報告者は、勿論、漢字の「表意性」については意識していたであろうと答えつつ、ひらがなに対しての意味の付与という当該論者の志向について述べ、宣長との違いに言及し、儒学における音義的な解釈は存在するのではないかと述べた。またこれを受けて、そうした江戸儒学の世界での一連の試みという事実について、それは皆川淇園などに限り、やはり、例えば徂徠学の訓読などの方が学問的関心は高かったのではないかという意見が別にフロアから出ると、江戸儒学や国学における学問的関心について議論が盛り上がった。

最後に、「言語的ナショナリズム」という言説の意味についてこれをたずねる質問があり、報告者は従来の研究の有り様や自身の問題意識について述べながら、本報告の意義を語った。総じて、専門性の高い報告であったが、報告のユ-モア性やその専門性の高さ故にその学問的視座がフロアの学問的関心を広く呼んだことで、質疑は終始、談笑を交えつつ有意義に展開されたことを記して質疑応答の様子をここに伝えたい。

文責:風間

PageTop