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論題:「柳宗悦とシャルロット・ペリアンの共鳴 ―1941年のペリアンによる展覧会を中心に―」
報告者:後藤智絵
柳宗悦は旺盛な執筆活動の中で、〈民芸〉以外の工芸をことごとく辛辣に批評していた。本報告では、フランス人デザイナーであるシャルロット・ペリアンの日本における産業工芸の仕事を柳が高く評価したことに着目し、柳が認めたペリアンの仕事の概要をまとめ、柳とペリアンの共通項と二人の関係性を確認した。
ペリアンは1940年に1年間の契約で、「工芸品意匠図案ノ改善」のために商工省貿易局から当時の大臣よりも高い月給で招聘された。日本の工芸品の改良のためには、日本の伝統を踏まえるべきであると考えるペリアンにとって、柳は最も日本の伝統に精通した人物として捉えられていた。柳は当時、民芸論の建立から20年以上を経ていて、日本民芸館の館長をしながら地方の工芸の振興に取り組んでいた。ペリアンは柳から日本の工芸の情報を得ながら、日本での任務の集大成である「ペリアン女子日本創作品展覧会 2601年住宅内部設備への一示唆 選択 伝統 創造」というタイトルの展覧会を開催した。本報告では、この展覧会の図録に収められたペリアンの解説や、展覧会批評を中心とした文献を取り上げて解読した。
このことから、柳とペリアンにはいくつかの共通項があることを確認し、同時に、ペリアンは柳の民芸運動に対して実は注意深く距離をおいていた様子もみることができた。つまり、柳が民芸運動を通して、日本の美のあるべき姿という基準を創造しようとしていたことに対しては、同調していたとは言うことが出来ず、むしろ民芸運動の本丸はそこにあることが読み取れたのである。しかし本報告では、二人の齟齬よりも共鳴しているところに重点をおいた。なぜなら、日本の工芸が日本らしさを国内外から問われはじめたこの当時、少なくともその指導を任されたペリアンの目には最も注目に値する作品群として、柳が見出した〈民芸〉の領域が選ばれたことは揺るぎなく、ペリアンの展覧会は、二人の共鳴を示しているといえるからである。
文責 後藤智絵
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報告者
佐藤由隆さん(大阪大学)
タイトル
五井蘭洲と中井履軒の知行論をめぐる議論について
参考文献
・陶徳民『懐徳堂朱子学の研究』(大阪大学出版会、1994)
序論「近世儒学史における懐徳堂朱子学の位置」1-24頁
第一章第二節「「格物窮理」論」62-81頁
・源了圓編『江戸の儒学――『大学』受容の歴史』(思文閣出版、1988)
田尻祐一郎「懐徳堂学派」157-175頁
・阿部吉雄『日本朱子学と朝鮮』(東京大学出版会、1965)
第四篇第一章「朱子理気哲学の分解と二派の系譜及び特質」491-534頁
・嚴錫仁『東アジアにおける日本朱子学の位相』(勉誠出版、2015)
第二章「崎門学派と李退渓・薛敬軒・羅整菴」67-116頁
補論Ⅰ「朱子思想の性格」239-279頁
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例会後、懇親会を予定しております。
場所:串しずか
時間:19時45分〜
よろしくお願いします。
木曜(1月12日)の例会につき、岡山大学からお越しいただく後藤智絵さんがご報告します。
つきましては報告テーマと参考文献についてご連絡します。以下の通りです。
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報告者
岡山大学後藤智絵さん
報告タイトル
「柳宗悦とシャルロット・ペリアンの共鳴について―1941年に開催されたペリアンによる展覧会を中心に―」
参考文献
・柳宗悦「日本民芸協会の提案」復刻版『月刊民藝・民藝』第4巻、不二出版、2008年
初出:『月刊民藝』第2巻第10号、1940年10月
・柳宗悦・濱田庄司「ペリアンの展覧会をみて」復刻版『月刊民藝・民藝』第5巻、2008年
初出:『月刊民藝』第3巻第3号、1941年4月
・「工芸座談会ペリアン女史創作品展について聴く」森仁史・梅宮弘光編、叢書・近代日本のデ ザイン68『論文選 昭和篇』ゆまに書房、2015年、292〜309頁
初出:『工芸ニュース』第10巻第5号・第6号、1941年
・「第二回貿易局輸出工藝図案展覧会講評」森仁史・梅宮弘光編、叢書・近代日本のデザイン68『論文選 昭和篇』ゆまに書房、2015年、248〜266頁
初出:柳宗理監修『輸出工芸』第6号、1941年
・シャルロット・ペリアンと日本研究会編『シャルロット・ペリアンと日本』鹿島出版会、2011年
以下省略
*例会終了後、懇親会を催す予定です。多くのご参加お願い申し上げます。