日本思想史研究会(京都)のブログ

本研究会は立命館大学を拠点に、歴史学・思想史の問題について時代・地域に捉われることなく、深く考えていく場として設立されました。2014年度後期例会は、個人研究テーマ報告です。

10月13日 例会予告

論題 「文政大地震と如来教――〝その時〟に向き合う説教と予言がはずれるとき――」
報告者 石原和
参考文献
北原糸子『地震の社会史』(講談社、二〇〇〇年)
神田秀雄・浅野美和子編『如来教・一尊教団関係史料集成一―四巻』(清文堂、二〇〇三―〇九年)
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2015年12月17日例会 報告要旨

 本報告では現状の博士論文構想について概略的な発表を行った。まず、戦前日本の軍事制度における統帥大権・編制大権と軍令・軍政についての概念整理を行い、また海外からの軍事制度移入における陸海軍の差異と日本の軍事制度の特殊性を示しつつ、近年の「軍政優位体制」概念に対する批判を行った。そのうえで、一般的な文民統制にちかい、軍政・軍令範囲の明確化、軍令範囲の限定化の上で軍政の優勢をとる輔弼形式を〈国務(文官)大臣輔弼主義〉、日本型の軍部大臣の国務(文官)大臣と軍部(武官)大臣という両義性を前提とし、これを使い分けていくことによる大臣の輔翼形式を〈軍部(武官)大臣輔翼主義〉と定義した。戦前日本においては、海軍が前者を採り、陸軍が後者を採った。両者には、ともに軍政優位を形作る素地があったものの、論理的な違いが存在していた。また海軍自身、軍令機関の自立化など、軍政・海相優位という自己の論理との矛盾を抱え込むことにもなった。
 そうした陸海軍の論理対立が、政党内閣が台頭する一九二〇年代において顕著となり、「統帥権問題」が浮上することとなった。最終的に、一九二五年の加藤高明内閣での答弁において、陸軍が採った論理が採用されることとなった。これは陸軍において、政党内閣との協調とそれを可能とする陸相による統制を実現するために必要な論理であったため、当時の陸相であった宇垣一成が認めさせたのである。同時に海軍においてもこれを受け入れることで、軍令部や軍令部強化を図る勢力に対して一定の譲歩を行いつつ、軍政優位維持を図ったものと考えられる。こうして一九二〇年代後半において政党内閣と陸海軍の協調体制が形成されたのである。だが、陸軍の解釈をそのまま受け入れたことで、従来の海軍の論理との矛盾が生じ、後にその矛盾を露呈することとなっていった。
 そしてロンドン海軍軍縮条約問題や満州事変を契機に、政軍協調体制とそれを支える統制体制が後退していくこととなった。これに対して、政軍協調体制形成に貢献した宇垣一成を首班とすることを目指した擁立運動が開始されることとなった。擁立運動においては、軍部(特に陸軍)との関係改善を図りつつ、また皇道派の三長官による統制体制から軍部大臣を中心とする統制体制への回復を目指す必要があった。軍部大臣を中心とする統制体制回復については、宇垣や擁立運動の担い手と統制派との連携が可能だった。しかし、統制派における軍部大臣を中心とする統制体制は、中堅官僚層の政策遂行において必要とされたのであり、宇垣らの目指した統制体制回復とは違っていた。その帰結が宇垣流産内閣であり、ここに一九二〇年代に成立した政軍協調体制とそれを支えた統制体制は崩壊した。
 最後に、今後の課題として大正政変前後の政軍関係当時の海軍内部の対立構造再考明治における軍令主義などの関係を宮中の軍事機関との関係から見直すこと、大正期における大正政変後の政軍関係を元老・政党・軍部から見直すことなどを挙げた。

文責:山口一樹
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