日本思想史研究会(京都)のブログ

本研究会は立命館大学を拠点に、歴史学・思想史の問題について時代・地域に捉われることなく、深く考えていく場として設立されました。2014年度後期例会は、個人研究テーマ報告です。

12月3日 例会報告要旨

                 徳川時代後期日朝関係の再照明――辛未通信使との接触を素材に

 徳川時代後期、北方問題の浮上と軌を一にして日朝関係が主題化されなくなっていく。江戸に来た通信使は1764年度のものが最終であり、結果として「最後」になる1811年の通信使(辛未通信使)は対馬で対応した。辛未通信使については江戸に来なかった例外的なものとして扱われ、延聘の交渉過程に研究が集中しており、来聘時の接触様相、相互認識についてはほとんど触れられてこなかった。そこで本報告では辛未通信使との接触様相に注目することにより、近世後期の日朝関係について再検討する視座を提示せんとすることに眼目を置いた。まず対馬に随行しなかった佐藤一斎の『愛日楼文』、対馬に随行して通信使と直接接触した草場珮川の『津島日記』を検討したところ、日本側が「文」の上で朝鮮に対して優位に立たんとする意識、すなわち徳により朝鮮が日本に靡くのだという論理が見られた。また、前回の通信使の対応における反省を活かして、後代につなげようとする意図も見られる。続いて通信使との筆談の様相を探るため草場珮川『対礼余藻』、三宅橘園『雞林情盟』を検討した。日本の文人たちは筆談において、朝鮮側から科挙の方法や清の儒学の現状などを学ぼうとしていた。ここには日本が儒教後進国であるという現実が背景にあり、その裏返しとして、朝鮮より優位に立ちたがる意識を有していると指摘できる。また筆談において仁斎・徂徠の学説が主題化されるのであるが、これは朱子学、陽明学、あるいは沈徳潜をはじめとする諸々の清儒、あるいは李退溪など朝鮮の儒者と同じ次元のものとして、当該期の東アジアを動いていた一つの流れとして捉えることができる。徳川時代後期の日朝関係は、従来、接触が希薄化した状況下で相互蔑視観が醸成されてきて日朝関係が途絶えていくものとしてのみ説明されてきたが、実際には18世紀から19世紀にかけて連続した流れの上で捉えることができ、相互の関心が大きかったことが指摘できる。更に儒教を軸に据え清の動向も交錯した流れを念頭に置いてみると、相互の学術に学び合う姿勢が見られ、東アジア史の動向の中に位置づけなおすことができよう。

文責:松本
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12月24日 例会予告

報告題名:「月性『仏教護国論』の主張とその影響」
報告者:橘宏氏(本山興正寺)
参考文献:
日本近代思想史大系5『宗教と国家』 岩波書店 1988
新アジア仏教史14・日本Ⅳ『近代国家と仏教』 末木文美士(編) 佼成出版社 2011
天皇の歴史9『天皇と宗教』 小倉滋司・山口輝臣 講談社 2011
『島地黙雷―「政教分離」をもたらした僧侶―』 山口輝臣 山川出版社 2013
『近代日本の戦争と宗教』 小川原正道 講談社選書メチエ 2010
『宗教で読む戦国時代』 神田千里 講談社選書メチエ 2010
『葬式と檀家』 圭室文雄 吉川弘文館 1999

参考論文
「真宗排耶論に関する一考察―超然と月性を中心として―」
岩田真美 龍谷大学大学院文学研究科紀要 2008

 それではご参集のほどよろしくお願いします。
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12月17日 例会予告

報告者:山口一樹
報告題名:「近代日本政軍関係史序説」
参考文献:
永井和『近代日本の軍部と政治』思文閣出版、1993年
森靖夫『日本陸軍と日中戦争への道』ミネルヴァ書房、2010年)
小林道彦・黒沢文貴編『日本政治史の中の陸海軍』ミネルヴァ書房、2013年

 それでは何卒よろしくお願い申し上げます。

山口一樹
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2015年11月26日 例会報告要旨

江戸儒学についての討論は日本思想史の一大テーマとして長年来多くの研究者によって行われた。近年東アジアの目差しのもとで儒学を読み直すという作業や儒学を改めて位置付けることなどがさかんになった。儒学を一種の学問として東アジア世界(ここはあえて中華文明圏という概念を使わない)に影響をもたらしたということは疑う余地がない。特に近世(ここの近世は一般的な日本史の区分に従う)に入って、儒学は東アジアの知識人階層の共通的な基本素養として、お互いの交流の際に作用を果たした。例としてよく挙げられたのは朝鮮燕行使や朝鮮通信使の活動。しかし、今までの研究によってわかるように、例えば、日本の場合、そもそも儒者という職業あるいは身分がなかった、また科挙制度を持たない江戸社会に儒学を習った人の数が極めて限られたと思われる。更に、中国(正確に言えば、明清時代)の儒者が「想像」した儒学式の世界システムにおいて、儒学を学ぶ人は高等文明を所有している中華が優位を立つという秩序を認めることを当然のように考えていた。勿論、ここの中華は中国(明あるいは清)のことを指している。しかし、朝鮮や日本、あるいは越南の儒者は必ずそう考えているではない。ということで、多くの研究者が論証したいいわゆる儒学の普遍性は一体どこまで普遍したか、また東アジア世界において儒学の影響はどこまで深かったかについて極めて難解の課題だと考える。もう少し深入りに考えれば、我々が使っている儒学、儒者などの基本概念も恐らく地域によって異なっている。黄俊傑は『東アジアの儒学』という本に、文化的アイデンティティーと政治的アイデンティティーとの葛藤を提示した。黄氏によって、今まで儒学を東アジア世界の共通的な文化的アイデンティティーとして、政治的アイデンティティーを超越したものだと多く考えられたが、実際上かなり違っていることを様々な史料から読み取れる。以上の諸問題を念頭に置きながら、荻生徂徠という日本思想史上極めて重要な一人を観察対象として考察を行いたい。

文責:石運
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2015年11月19日 例会報告要旨

 今回の報告では、まず2015年度思想史大会および特研報告で受けた意見を回顧し、とくに①「ラッセル訪問」をめぐる知識人の論争の実態が見えてこない②イギリスの政治思想史系譜におけるラッセルのギルド社会主義の位置づけ、③知識人の論争を通して見出される時代的文脈が曖昧、という三点の指摘に対し、先行研究の紹介も含め、1920年代初頭の中国思想界における「社会」「社会主義」の意味合いについて簡単に触れてみた。加えて、これらの指摘について、ⅰ知識人の論争のディテールの補完、ⅱイギリス政治思想史におけるギルド社会主義の位置付けおよび伝来後のそのコンテキスト、ⅲ概念史の方法も含めて20世紀20年代年代の時代像を構築するといった、具体的な解決法を報告で展望した。

文責:張琳
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2015年11月14日 修士論文構想報告会 報告要旨

本報告では、修士論文の先行研究・問題点及び構成案について報告した。西村茂樹が学事巡視(明治10年~17年)のため各県を訪問する時に、小学校を重要な対象として取り上げ、そして1880(明治13)年、河野敏鎌が文部卿になり、改正教育令を発布した後、続いて小学校教則綱領の制定に取り掛かり、そこから小学の道徳(修身)教育について論争が出て、特に西村茂樹と元田永孚との分岐は極めて目立つのである。それがゆえに彼の小学道徳教育思想を検討したいと思う。本報告では西村茂樹に関する先行研究及び彼の教育思想についての先行研究を整理し、彼の「東西折衷」思想及び「自由主義」思想について疑問を出した。そして、修士論文の章立て、つまり①先行研究の検討②明治前期の小学教育と西村茂樹③『小学修身訓』における西村茂樹の教育思想という三つの方面から検討しようと思った。最後に各章の内容構想および段取りなどについて報告した。

文責:張倩鈺
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2015年11月14日 修士論文構想報告会 報告要旨

 周知の限り、日本の近代化を解釈する上で、福沢諭吉(1835~1901)は避けては通れない人物である。女権論や家庭観から国家観まで、福沢諭吉に対する研究は百花斉放、汗牛充棟になった本日に至って我々はまだ氏を取り上げ議論するのは、日本の近代化を激しく推進したことだけではなく、氏の影響は日本を超え、東アジア、特に儒教文化が主導的な地位を占めていた中国、朝鮮の近代化にも避けては通れないのである。
 いうまでもなく、「福沢諭吉が中国の近代化における影響」というのは、「教育・啓蒙思想の隣国流入」と「「東亜悪友を謝絶するための戦争鼓吹」という両義的なものである。しかし近年の中国に溢れている福沢論を取り上げて見れば、福沢の「脱亜論」における侵略性に一方的に落ち込んで、侵略主義者である福沢像を構築しようとする傾向が明らかに見える。こういう「一面的な福沢像」に落ち込む危険を避けることも一因となり、本報告は福沢が中国の近代化における影響の両義性を中心として議論するのではなく、かえって日中の文化交流が活発になって清朝末期という福沢像に対する構築の発端期にもどり、この時期における福沢像の特色を理解する上で近年の中国に構築された福沢像と結合しながらその思想史的意味を検討していきたい。

文責:龍蕾
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2015年11月14日 修士論文構想報告会予告 

報告題名:「明治前期小学校における道徳修身教育思想――西村茂樹の『小学修身訓』をめぐって」
報告者:張倩鈺
参考文献:
1、日本弘道会『泊翁西村茂樹伝 下巻』(1933)
2、海後宗臣『西村茂樹・杉内重剛』(『日本教育家文庫 第三巻』)(北海出版社 1937)
3、吉田熊次『西村茂樹』(文教書院 1942年)
4、和辻哲郎『日本倫理思想史 下巻』(岩波書店 1952)
5、家永三郎『日本近代思想史研究』(東京大学出版会 1953)
6、山田洸『近代日本道徳思想史研究:天皇制イデオロギー批判』(未来社 1972)
7、古川哲史『明治の精神』(ぺりかん社 1981)
8、古川哲史『泊翁 西村茂樹 転換期日本の大思想家』(文化総合出版 1984)
9、高橋昌郎『人物叢書 西村茂樹』(吉川弘文館 1987)
10、王暁葵(2000)「西村茂樹の初期思想形成とその特質――学問観と兵学思想を中心に――」『国際開発研究フォーラム
11、日本弘道会『西村茂樹研究論文集――我れ百年の後に知己を挨つ――』(2004)
12、日本弘道会『増補改訂 西村茂樹全集 第2巻 著作2』(思文閣 2004)
13、日本弘道会『増補改訂 西村茂樹全集 第4巻 著作4』(思文閣 2006)
14、真辺将之『西村茂樹研究――明治啓蒙思想と国民道徳論』(思文閣 2009)
15、日本弘道会『増補改訂 西村茂樹全集 第9巻 訳述書5 日記』(思文閣 2010)

 論題は10月27日の特研で先生のご指摘でかわりました。先生のおっりゃったとおりの論題ではありませんが、これから変更しませんので、どうぞ皆様のご意見ご指摘をいただけますように宜しくお願い致します。それではよろしくお願いいたします。

張倩鈺
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2015年11月14日 修士論文構想報告会予告

報告題名:「近代釜山地域日本神社の流入過程と意味変容ー龍頭山神社を事例にー」
報告者:許スミン
参考文献:
1. 一次史料及び資料集
「神習教教規」『神道各派教規教則』、1885年
『在朝鮮居留地関係取極書』朝鮮総督府、1910年
高橋章之助『宗家と朝鮮』北內印刷所、1920年
大曲美太郎『龍頭山神社史料』龍頭山神社社務所、1936年
洪順權『日帝時期在釜山日本人社会主要人物調査報告』善人、2006年
洪順權『日帝時期地域史研究のための『釜山日報』記事の目録化及び電算化』釜山大学校、2009年
2. 単行本及び研究書
村上重良『国家神道』岩波新書、1970年
菅浩二『日本統治下の海外神社-朝鮮神宮・台湾神社と祭神』弘文堂、2004年
青野正明「朝鮮総督府の神社政策と類似宗教」磯前順一・尹海東編『植民地朝鮮と宗教』三元社、2013年
石堂学術院・地域文化研究所「近代殖民都市釜山と経済人」『地域と文化遺産』善人、2010年
3. 研究論文
菅浩二「日本の領土拡大と「天照大神」崇敬の変遷」『日本学研究』第30輯、2010年
菅浩二「朝鮮神宮御祭神論争」再解釈の試みー神社の<土着性>とモダニズムの視点から」『宗教と社会』第5輯、1999年
金勝「開港以後釜山の日本居留地社会と日本人自治機構の活動」,『地方史と地方文化』第15券1号、2008年
ムン・ヘジン「日帝植民地期の京城府神社―神社及び祭神の時期関連性格を中心に」『精神文化研究』第36券3号、2013年
ヤン・フンシュク「開港後の草梁町人と近代空間の形成」『韓国民族文化』第44号、2007年
洪順權「釜山都市史研究の基礎的検討」『釜山の都市形成と日本人』石党学術院地域文化研究所、2008年
キム・ユンハン、ハン・ヒョンソク「開港都市釜山の日本人地域社会形成と宗教」『開港都市文化交渉学』第11号、2014年

 明日の発表は修士論文の第1章や第2章の第1節に当たる内容で、まだ第2節の構成について色々悩んでおります。皆さんからご指摘やコメントお願い致します。それではよろしくお願いします。

許スミン
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2015年10月29日 例会報告要旨

 本報告は、17世紀初め頃中国と日本の二人の思想家王常月と度会延佳を分析の対象として、その時両国において「心法」の広がりの様子を一瞥したものである。両者は同じく太平の世を迎えたばかりの社会に生きており、自分の「宗教家」の身分を活かしつつ、理想を自身の著作に溶き込んで、なおそれを「心法」と名乗って民衆に教えようとしている。本報告は中国史家岸本美緒氏の「共通リズム」論を手がかりとして、両者の著作「龍門心法」、「陽復記」の中に当時の社会に対して何を改善しようとしているのかに関する言説を抽出し、彼らがなぜかようなものを書くのかの原点を分析した。

文責:蕭月
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2015年10月22日 例会報告要旨

中村習斎の喪祭論覚書
松川雅信
 中村習斎(一七一九~九九)、名は蕃政。兄厚斎とともに、三宅尚斎(一六六二~一七四一)の高弟蟹養斎(一七〇五~七八)に師事した、崎門派の流れを汲む尾張藩儒である。その門流からは後に、中村得斎(生没年不詳)が出ており、彼が幕末の尾張藩主徳川慶勝(一八二四~一八八三)に献上した全四百巻からなる『道学資講』の存在は、大変よく知られていよう。
本報告では、習斎が晩年に著した『喪礼俗儀』『祭礼小儀』という喪祭儀礼手引書に注目することで、日本近世中後期において、儒教儀礼の実践がどのように試みられたのかという問題についての基礎的考察を試みた。
 習斎が念頭におく喪祭儀礼とは、とりもなおさず朱熹『家礼』に範をとるものであった。彼が残した『家礼自読記』『家礼講義』『家礼新図』『家礼改図』『家礼図評』等の一連の著作・講義録には、『礼記』『儀礼』等に加えて、『家礼儀節』のような明代の『家礼』改訂本、さらには『泣血餘滴』『追遠疏節』『喪祭小記』『家礼訓蒙疏』といった先行する近世日本儒家の手になる『家礼』関係書が引用されており、彼の『家礼』研究の浩瀚さをうかがうことができる。
 しかしながら、上述の二つの手引書は、必ずしも教条的に『家礼』に載る喪祭儀礼の実践を強いるものではなかった。むしろ習斎は、近世日本社会に既存の「習俗」や、あるいは朱熹『家礼』が激しく論難した仏教までをも内にとり込む形で、儒教的喪祭儀礼が実践されることを志向していたのであり、彼にとってそれは決して「朱子の意」に悖理することとは考えられていなかった。無論、儒家である以上、他方で「孝」に反する行為等は徹底して論駁されており、たとえば「薄棺」・火葬等の非がつぶさに論じられていた。これらからうかがえるのは、習斎が「習俗」・仏教といった既存の社会的枠組みに依拠することによって、儒教儀礼の普及を企図していたということであろう。ほぼ同時代の懐徳堂学派が所謂「無鬼論」を提唱することによって、民間世界の宗教的信仰を排し、あくまで徹底した儒家知識人としての立場からの儒教儀礼を提唱していたことと比較してみるなら、本報告に瞥見した習斎の存在は、けだし民間世界に依拠することで自らの存立基盤を模索せんとした儒家の一例として考えることができるのではなかろうか。
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2015年11月5日 例会報告要旨

 本報告では、修士論文の内容に基づき、近世前期の儒者である山鹿素行の『中朝事実』における「武徳」による華夷秩序論を考察してみた。素行は「武」の正当性を天・神から求め、「文」「武」は陰陽五行のように互いに支えないといずれも存在できないものとするのを明らかにした。「王覇は一なり」と唱えるのを通し、「武」の重要性を「文」と同一視しようとする素行は、「礼・法」文明の華夷観念と違い、「武徳」によって成された日本中心的な華夷秩序を築き上げた。蝦夷を東夷とし、高句麗新羅百済三韓を西戎とし、日本を中心とする「国際環境」が描き出され、東夷西戎の朝貢と服従が想像されてきた。にもかかわらず、素行の「天下」観においては、『日本書紀』から取り上げた「秦漢」の人々のことが「朝貢」より、「来化」という言い方によって解釈されている。それは『日本書紀』という文献から日本を中心に四夷朝貢という記事が少ないため、それに加え、素行の「天下」観には、「外朝」が「中朝」と平行して「天下」を共有する存在として捉えられていることが見て取れよう。つまり、日本を中心とする華夷秩序には、「外朝」が「中朝」と同様の位置づけを占めている。それは、素行における「中心がふたつある」的な天下観であるように思える。

文責:黄薇姍
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2015年12月10日 例会予告

報告題名:江戸時代における食養生ー『本朝食鑑』を中心に(仮)
報告者:向静静
参考文献:
酒井 シヅ『江戸の病と養生』講談社、2003
原田信男『江戸の料理史—料理本と料理文化』中央公論、1989
矢部一郎『江戸の本草—薬学と博物学』サイエンス社、1984
杉本つとむ『江戸の博物学者たち』講談社学術文庫、2006

よろしくお願いいたします。

向静静
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2015年11月12日 例会報告要旨

 今回の発表では、植民地朝鮮の新宗教に多大な影響を与えた、朝鮮時代の秘訣である『鄭鑑録』にかんする研究ノートを報告した。朝鮮後期の抵抗運動において、もっとも持続的かつ反復的なモティーフとして作用したのが「真人による新たな主都の建設」という骨子の真人出現説である。かかる真人出現説にかんする無数の予言・図讖・秘訣類が流通されていたが、『鄭鑑録』もそのひとつとして現れた。
 『鄭鑑録』は、①李沁〔李氏朝鮮の先祖〕と鄭鑑(鄭勘)〔李氏に代わって王権を握る真人〕の対話という形式をとっており、 ②地理衰退説に根拠つけられた、鄭氏=真人による李氏王朝の滅亡が予言され(漢陽の李氏→鶏龍山の鄭氏→伽倻山の趙氏→完山の范氏の順で易姓革命)、③王朝交代期は極度の乱世(=両乱期民衆の体験が反映)と、その際の避難場として提示される「十勝地」が提示されることが特徴である。『鄭鑑録』は、朝鮮王朝の支配イデオロギーに対抗しながら、一種の対抗イデオロギーを形成したと評されてきた。
 ただし、注意を払うべきところは、かつて『鄭鑑録』が、同時代の予言・図讖・秘訣類のなかで特権的な秘訣ではなく、あくまでもその一種類にすぎなかったことである。これと関連して、同じく真人出現説にかかわる図讖・秘訣類には『鄭鑑録』の核心様相のひとつである「十勝地」の言及が無い点も看過してはいけない点である。にもかかわらず、一九二〇年代朝鮮では、『鄭鑑録』はあらゆる図讖秘訣説及びその信仰全体をその範疇にしていたが、本報告ではその背景として一九二三年の『鄭鑑録』定本の発刊に注目し、執筆者である細井肇の朝鮮観などを検討した。

文責:朴海仙
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2015年10月15日 例会報告要旨

 本報告では、一八〇〇年前後の宗教社会の力学の中で、如来教がどのように他宗教やその利益と対峙し、レゾンデートルを確立したのか、そしていかにして自らの世界観の中で語ったのかを史料に則してその具体的様相を明らかにしようとした。そのために、本報告では、如来教の説教に何度も登場する他の世界観を持つ信仰の中でも、秋葉信仰に注目し、その広がりと、秋葉講の様子を明らかにした上で、それに対峙した如来教の反応を考察するという方法をとった。同時代的に隆盛を迎えた秋葉信仰を前にして如来教は次のような過程を経て秋葉信仰を取り込んだ。如来との「お話」の有無を基準に金毘羅と秋葉の上下関係を明確にし、このたびの一切の救済の担い手として金毘羅を位置づけることにより、秋葉から火防の利益を引き剥がし、金毘羅の利益の中に包摂した。その結果、火防の利益もまた如来教の方法で得られるものとされた。如来教はこのような過程を経て、他信仰の利益を再解釈しながら利益を総合化して、より多くの人々を取り込んでいったと考えられる。

文責:石原和
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2015年12月3日 例会予告

報告題名:「近世後期日朝関係の再照明――辛未通信使との接触を素材に」
報告者:松本
参考文献:
李元植『朝鮮通信使の研究』(思文閣出版、1997年) 特に「第八章 文化度(1811)の使行」(424~447頁)
신로사「1811년 辛未通信使과 朝日 문화 교류 –筆談·唱酬를 중심으로-」(成均館大學校 博士學位論文、2010年)

 それではよろしくお願いします。

松本 智也
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2015年11月26日 例会予告

報告題名:「明清儒学と徂徠学の接点からみる徂徠像(仮)」
報告者:石運
参考文献:
平石直昭『荻生徂徠年譜考』(平凡社 1984年)
若水俊『徂徠とその門人の研究』(三一書房 1993年)
関西大学東西学術研究所資料集刊九―四『享保時代の日中関係資料三<荻生北渓集> 1995年
黄俊傑『東アジアの儒学』ぺりかん社 2010年
そのほか、徂徠の著作に関しては主にみすず書房版全集と『思想大系・荻生徂徠』のテキストを参考しています。

 今回の報告で修士論文の構想について報告させていただきます。修士論文について、今色々苦悩中のため、今回の発表を機として、たくさんのご意見とご指摘を賜りたいです。
以上でよろしくお願いいたします。

石 運
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2015年11月19日 例会予告

報告題名:「1920年代初頭の中国における「社会」・「社会主義」概念の意味合い――概念史的研究方法を導入して」
報告者:張琳
参考文献:
金観濤、劉青峰「中国近現代における観念の起源の研究及びデータベースの利用」『史学学刊』2005年第5期
金観濤、劉青峰『観念史研究 中国現代重要政治術語的形成』北京法律出版社、2010
孫江、劉建輝主編『亜洲概念史研究 第一輯』三聯書店、2013
孫江、陳力衛主編『亜洲概念史研究 第二輯』三聯書店、2014
段煉「近20年来中国近代思想史研究的新進展」河南大学『史学月刊』2015年第1期、108-125頁

 今回では主に2015年後期における個人研究の進捗状況、とりわけ各学会・研究会にて頂いたフィードバックおよび後期の研究目標などについて報告させていただきます。何卒よろしくお願いいたします。

張琳
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2015年11月5日 例会予告

報告題名:「『武徳』による華夷秩序ーー山鹿素行『中朝事実』を例に」
報告者:黄薇姍
参考文献:
尾藤正英『日本の国家主義――「国体」思想の形成』、岩波書店、2014年
前田勉「山鹿素行『中朝事実』における華夷観念」、『愛知教育大学研究報告』五九(人文・社会科学編)、2010年3月
渡辺浩『日本政治思想史 十七~十九世紀』、東京大学出版会、2010年
桂島宣弘『自他認識の思想史――日本ナショナリズムの生成と東アジア』、有志舎、2008年
立花均『山鹿素行の思想』、ぺりかん社、2007年
桂島宣弘「近代天皇制イデオロギーの思想過程」『幕末民衆思想の研究』、文理閣、2005年
劉長輝『山鹿素行:「聖学」とその展開』、ぺりかん社、1998年
前田勉『近世日本の儒学と兵学』、ぺりかん社、一九九六年、
宮崎道生「蕃山と山鹿素行」『熊沢蕃山の研究』、思文閣出版、1990年
佐々木杜太郎『叢書・日本の思想家  山鹿素行』、明徳出版社、1987年
中山広司『山鹿素行の研究』、神道史学会、1987年
『日本思想大系32 山鹿素行』、岩波書店、1970年
堀勇雄『山鹿素行』、吉川弘文館、1959年
井上哲次郎『日本古学派之哲学』、冨山房、1926年

 今回の報告は修士論文の内容から修正したものであり、特別研究でも発表させていただきましたが、今週の思想研究会でぜひ皆様のご意見を聞かせていただきたいと思いますが、なにとぞよろしくお願いいたします。

黄薇姍
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2015年11月12日 例会予告

報告題名:「研究ノート・植民地朝鮮と鄭鑑録」
報告者:朴海仙
参考文献:
崔南善『朝鮮常識問答』東明社、1946
高崎宗司『「妄言」の原型 日本人の朝鮮観』木犀社、1990
百承鐘著、松本真輔訳『鄭鑑録』勉誠出版、2011
韓承勲「前近代韓国のメシアニズム 朝鮮後期真人出現説の諸形態とその空間的戦略」『宗教と文化』27号、2014、27-55頁

朴海仙
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2015年10月29日 例会予告

報告題名:「王常月の「龍門心法」と度会延佳の「陽復記」−十七世紀東アジアにおける「心法」の広がりの様相の考察−」
報告者:蕭月
参考文献:
清水光明「編」『「近世化」論と日本—「東アジア」の捉え方をめぐって』、勉誠出版、2015年
岸本美緒『東アジアの「近世」』、山川出版社、1998年
    『風俗と時代観—明清史論集1』、研文出版、2012年
羽田正「編」『東アジア海域に漕ぎ出す1 海からみた歴史』、東京大学出版会、2013年
中国語
南懷瑾『中國道教發展史略』、復旦大學出版社,1996年
王志忠『明清全真教论稿-儒道释博士论文丛书』、巴蜀书社、2000年
朱展炎『驯服自我-王常月修道思想研究-儒道释博士论文丛书』、巴蜀书社、2009年
卿泰希主編『中國道教思想史 第四卷』、人民出版社、2009年
張學智『中國儒學史 明代卷』、北京大學出版社、2011年

蕭 月
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2015年10月22日 例会予告

報告題名:「中村習斎の喪祭論―その礼俗観をめぐって―」
報告者:松川
参考文献:
鵜飼尚代「崎門学と「容儀」」(加地伸行編『中国学の十字路』研文出版、2006年)
田世民『近世日本における儒礼受容の研究』(ぺりかん社、2012年)、特に第2第3章
拙稿「蟹養斎における儒礼論」(『日本思想史学』47号、2015年)

 最近はじめたばかりのテーマですので、史料紹介的な報告に止まってしまうかと思いますが、何卒よろしくお願い申し上げます。

松川雅信
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2015年10月15日 例会予告

報告題名:「拡大する秋葉信仰、対峙する如来教」
報告者:石原
参考文献:
田村貞雄『秋葉信仰の新研究』岩田書院、二〇一四
新修名古屋市史編纂委員会編『新修名古屋市史 第四巻』名古屋市、一九九九
神田秀雄・浅野美和子編『如来教・一尊教団関係史料集成 第一巻』清文堂、二〇〇三
 
 本発表では、同時代に隆盛を極めた信仰との対峙をへて、民衆宗教・如来教が自らを確立していく過程を描きます。宗教学会で報告した内容の論文化に向けての第一段階にあたる報告となりますので、ご意見・ご助言いただければ幸いです。
 それでは、よろしくお願い致します。

石原和
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