日本思想史研究会(京都)のブログ

本研究会は立命館大学を拠点に、歴史学・思想史の問題について時代・地域に捉われることなく、深く考えていく場として設立されました。2014年度後期例会は、個人研究テーマ報告です。

2014年12月18日例会討論要旨

今回の報告は、M1の許受民さんが東アジア思想研究会で発表した「植民地期の日本と朝鮮における国家神道」を基づいて加筆された考察である。まず「国家神道」と「小鹿島更生園神社」のどちらに重点をおくか、またこれからの展開方向について再確認を求めた。
次に、「小鹿島更生園神社」という神社の研究動機及び研究価値について答えを求めた。また、「文化財」と認定されたことだけで、其の特殊性が十分に見えないと指摘された。その他、報告内容の組み立て、文字の間違いなども指摘された。最後に外地のハンセン病史についての研究はあまりないため、一つの方向として考えても良いと建議された。報告者はこれから再確認と訂正作業を行っていくと答えた。

文責:石運
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2014年11月6日例会報告要旨

本稿は学部卒業論文に、大学院入学後に整理した先行研究を加え、加筆修正したものである。これまでの研究は主に荻生徂徠の『政談』から彼における「礼」の認識、またそれをもとに構築した理想的な社会モデルについて考察したものであった。子安宣邦氏が「事件的」 であると評価したように、荻生徂徠の思想は当時の時代において、非常に衝撃的な存在であったといえよう。その特徴の一つに熱心な政治参与がある。江戸時代の儒学者は、社会制度上の制限により政治とはほとんど縁がなかった。荻生徂徠のように儒学を使い、実際の政治に携えた儒学者はきわめて稀である。徂徠以外、このような影響力が持ち、政治にも実際参加できたのは、官学としての林門の羅山諸人や、儒学者である熊沢蕃山、新井白石ら数人しかいなかった。そのため、他の学者と比べれば、より実用的な性格を有すると言えるだろう。徂徠の学説は当時の社会でも大きな影響力を持っていた。「享保年間の中頃以降、その興隆ぶりは『世ノ人其説ヲ喜ンデ習フコト信二狂スルガ如シ』 というりさまであった。」 荻生徂徠の学説は当時の社会に大きな影響を与えていたといえよう。
荻生徂徠は、「礼楽制度」の再興により、「天下を安ずる」の目的を達成する主張より自らの学説を展開していた。その中に「礼楽」という概念が彼の著作に常に言及され、彼の学説におけるもっとも核心的部分だと考えられる。そのため、本稿は『政談』、『弁名』、『弁道』三つの著作に基づき、荻生徂徠が論じる「先王の道」にある「礼」についての認識を取り上げ、荻生徂徠が考える理想的な社会構想を探究したいと思う。

文責:石 運
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2014年12月18日例会につきまして

報告論題 : 植民地期の日本と朝鮮における国家神道の考察-朝鮮の地方神社小鹿島厚生園神社を中心に-

報告者:許受民


【参考文献】 
1. 村上重良『国家神道』、岩波新書、1970年

2. 村上重良『国家神道と民衆宗教』、吉川弘文館、1982年

3 葦津珍彦『国家神道とは何だったのか』、神社新報社、1987年

4. 安丸良夫『神々の明治維新』、岩波新書、1979年

5. 羽賀祥二『明治維新と宗教』、筑摩書房 、1994年

6. 阪本是丸『国家神道形成過程の研究』、岩波新書、1994年

7. 島園進『国家神道と日本人』、岩波新書、2010年

8. 井上 寛司『日本の神社と「神道」』、校倉書房、2006
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2014年11月20日例会討論要旨

最初に事実確認として、従来の民衆宗教研究に対する本報告の位置づけ、ならびに昨今の「宗教」概念研究についての質問が出された。これに対し報告者は、既往の民衆宗教研究が近代において創出された「宗教」という概念に対して無自覚であった点を乗り越えるために、「宗教」概念研究の成果を斟酌しているとし、加えて具体的には近年のタラル・アサドらによる研究成果に依拠していると答えた。続いて同様に事実確認として、報告者が用いる「帝国」とは具体的に何を指しており、かくなる概念を用いることでいかなる視点を提供できるのか、といった質問が出された。これについて報告者は、近代日本が植民地を有していたという事実は、とりもなおさず帝国であったということを指すが、ここでいう「帝国」とはさらに進んで、往時の「帝国日本/植民地」といった二項対立を止揚しようとする意図のもとで用いる概念であると答えた。この「帝国」概念をめぐってはほかにも、本報告が「帝国史」を射程とすると主張しながらも、結局は大本教と普天教という二つの民衆宗教の比較研究に陥穽してしまっているのではないか、あるいは従前の帝国主義研究の成果も踏まえるべきではないか、といった質問も出された。これらの点につき報告者は、「帝国」についてさらに検討を重ねてゆく必要はあるものの、「帝国史」とはあくまで理論的な枠組みであり、具体的な対象としては、「近代」という時代における民衆宗教の思想的形成過程に主眼をおいて研究を進めてゆきたいと返答した。また報告者が「帝国」と併せて用いる、民衆宗教における「普遍主義」という概念についても、「帝国」と「普遍主義」との範疇は果たして同様のものとして考えられるのか、といった質問が出されたが、これについては基本的には同様の範疇と見てよいものの、さらなる検討は必要であると報告者は応酬した。ほかには、民衆宗教研究が前提とする「民衆」が「近代」の場合にはいかなる存在であったのかを精査する必要や、理論的前提を一度出て実証的に近代民衆宗教像を明らかにしてゆく必要など、様々な課題がフロアから提起された。

文責:松川
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2014年12月11日例会につきまして

報告題名:江戸後期から明治期にかけて立山信仰の諸問題―神仏分離について―

報告者:胡


【参考文献】

村田安穂『神仏分離の地方的展開』

村上専精他編『新編明治維新神仏分離史料』

木倉豊信編「芦峅寺文章」『越中立山古文書』

立山町編集『立山町史』

富山県『富山県史』


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2014年12月4日例会につきまして

報告題目:近世期薩摩藩の支配構造―外城制の基礎的要素を中心に―
報告者:横山


【参考文献】
秀村選三『薩摩藩の基礎構造』(御茶の水書房、1970年)
松下志朗『鹿児島藩の民衆と生活』(南方新社、2006年)等

よろしくお願いします。
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