日本思想史研究会(京都)のブログ

本研究会は立命館大学を拠点に、歴史学・思想史の問題について時代・地域に捉われることなく、深く考えていく場として設立されました。2014年度後期例会は、個人研究テーマ報告です。

2014年9月25日例会討論要旨

本報告では、まず大国隆正の著作物の成立年代を、より詳細に明らかにしたうえで、報告に掲載すべきではないかという質問が寄せられた。次に、大国隆正が日本のことを評価することは、当時の国学者として当然のことではないかという質問があった。これについて報告者は、本報告では、大国隆正の言語論に注目したうえで、彼がどのように自説を正当化したのかを解明しようとした。つまり、日本をどのようなレトリックで評価しているのかに注目することに意味があったと述べた。最後に、結論で展開している近代知論批判は大変興味深い指摘であるので、報告の射程を広げるためにも、これを冒頭にもってきたほうがよいのではないかという、報告の論理構成についての質問があった。これに対して報告者は、指摘は一理あるが、本報告はあくまでも大国隆正研究であって、最後に近代知論批判の可能性を示唆するという、あくまで慎重な論理構成を取りたいと述べた。

文責:西田
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2014年9月25日例会報告要旨

本報告は、大国隆正における言語論をめぐる問題について思想史的な分析を行った。これまでの大国隆正という思想家が、幕末維新期における〈政治〉と〈宗教〉をめぐる問題を牽引した人物として議論の俎上に置かれていたこともあり、大国隆正が書いた言語論的テクストについては、内容自体も難しいためもあり、その思想的な無内容性について言及されることが多かった。本報告ではそのような事情を先行研究の検討から行い、そのうえで隆正における言語論的テクストが、〈古伝〉/〈古言〉/コスモロジーを貫く重層性を帯びたものであることを明らかにし、最後にその思想的帰結としての〈文字〉への固執性という問題に着目して、ナショナリズムをめぐる親和性との関係について言及を試みた。今回の例会ではとりわけ、先行研究をめぐる位置付けやテクストそのものがどのような〈時代性〉を帯びたものなのか、という点がやや不明瞭ではないかという指摘もいただき、いずれも示唆深いものであるため、その意味で研究としても改善の余地が残されていると報告者自身も考えている次第である。

文責:岩根
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2014年9月25日例会報告題名

報告題名:大国隆正の〈古言〉論―「言葉は後より出できたるものと知られたり」

報告者:岩根


【参考文献】

桂島宜弘『増補改訂版 幕末民衆思想の研究』、文理閣、2005年
野口武彦『江戸思想史の地形』、ぺりかん社、1993年
井上厚史「大国隆正の言語認識(1)・(2)」、『島根県立大学 地域研究調査報告書』第3集・第5集、1996・1998年

よろしくお願い致します。
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埼玉合宿写真

埼玉大にて。1日目の研究報告後、参加者の集合写真

志木市の羽根倉富士獄にて。2日目のフィールドワーク先。

日高市の高麗神社にて。2日目のフィールドワーク先。

写真1 埼玉大にて。1日目の研究報告後、参加者の集合写真

写真2 志木市の羽根倉富士獄にて。2日目のフィールドワーク先。

写真3 日高市の高麗神社にて。2日目のフィールドワーク先。
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埼玉合宿での報告と記録

【埼玉合宿での報告と記録】
 埼玉合宿の報告および記録を掲載します。(文責:富山)

・安江哲志「西田幾多郎の日本主義――日本における国家形態」
 本報告は、西田哲学において人生への悲哀や死の自覚が重要であるという問題関心に基づき、『日本文化の問題』(1940年)等から西田の日本主義的国家論について考察を行った。西田は日本文化という伝統の所有者として国家や民族を置くものの、その伝統とは作られ作りゆくものであって、諸個人は皇室を媒介として自己の主体を否定して歴史を作る存在となるものとされる。この動きが「絶対矛盾的自己同一」であり、ヨーロッパとは異なる国歌のあり様を西田は展望したと言える。

・朴海仙「1920年代朝鮮における普天教の活動とその可能性」
 植民地朝鮮における民衆宗教・普天教は1918年に車京石が立ち上げた教団で、秘密結社から合法化を経て農村社会に広まり、一時は天道教と並ぶ勢力を持つに至った。三・一運動後の文化統治への転換がなされるなかで、教団は近代化や新聞・雑誌の発行など積極的な動きを示すものの、社会的批判の増大や天道教との対立、時局大同団運動が親日的と見做されたことで教団の勢力は凋落した。本報告では、普天教を民族的/非民族的、民衆宗教/近代宗教という軸から論じることを批判するとともに、普遍主義の観点から大本教と比較し、「帝国」における宗教という視座を提起した。

・書評会:三谷博『愛国・革命・民主』(筑摩選書、2013年)
 本書は、著者の明治維新研究を踏まえて、その世界史的意義を普遍の観点から捉え直し東アジア・西洋との比較を行った著作である。「愛国」の項目では、ナショナリズムの形成について論じ、これが「忘れえぬ他者」を生み出すと指摘した。次の「革命」の項目では、明治維新の特徴を身分制の廃止と評価し、展開過程を理解するモデルとして経路依存性・カオス結合系・間接的アプローチを提起した。続く「民主」の項目では、西洋・近代的な民主主義に対して、中国・伝統的な「公論」と暴力との関係を重視する見方を示した。
 若色智史氏は、「忘れえぬ他者」がいかに成立したか具体的に検討する必要があること、明治維新の結果としての秩禄処分=身分制の廃止をペリー来航から導く議論は図式的であること、西洋の民主主義と「公論」がどのような関係を持ったか検討する必要があることなどを指摘した。西田彰一氏は、著者の明治維新論のポイントを①非マルクス主義的解釈の試み、②比較研究としての近代化論再評価、③近代的発展と近世的発展の対比であると整理した。その上で、東アジアの相互関係が抜け落ちていること、西洋と非西洋の二項対立を乗り越えていないこと、明治維新の肯定面の見取り上げる新たな近代化論に陥りかねないことを指摘した。討論では、これらの論点が深められるとともに、政治過程分析の功罪、マルクス主義的明治維新論との違い、歴史教育論としての意義などについて議論が行われた。

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埼玉合宿のご報告とお礼

【埼玉合宿のご報告とお礼】
 日本思想史研究会は、8月5~7日の日程で埼玉県にて合宿を行いました。以下に、その概要をご報告します。

 今回の合宿は、東北大学に在籍の本会の関係者から研究交流が提起され、協議のうえ東北大学文学部日本思想史研究室の共催とし、今後も継続的に行われることを願って「第1回歴史学・思想史合同研究報告会」として開催しました。会場および2日目のフィールドワーク先は埼玉大学の井上智勝先生にお世話いただきました。当日は8大学から大学院生を中心にのべ23人の参加者を集め、無事成功しました。
 第1日目は、午後から日程を開始し、研究報告を行いました。まず、東北大学の安江哲志氏と立命館大学の朴海仙氏が研究報告を行いました。新たな視座の提起と今後の発展を期待させるご報告であるとともに、時代・分野を超えた質疑応答が繰り広げられました。続いて、東北大学の若色智史氏と総合研究大学院大学の西田彰一氏が、三谷博『愛国・革命・民主』(筑摩選書、2013年)の書評報告を行いました。本書の特徴と視角の有効性について論じつつ、質疑応答を含めて本書の意義と課題について討論しました。終了後、懇親会を行い若手研究者どうしの交流を深めました。
 第2日目は、埼玉県下でフィールドワークを行いました。川口市立文化財センター分館郷土資料館(旧・鳩ケ谷市郷土資料館)で富士山信仰の一つである不二道の説明を受け、また地蔵院(慈眼寺)、さらに移動して志木市にある富士塚・羽根倉富士嶽を見学しました。ここから移動して、日高市の高麗神社まで足を運びました。いずれも今日まで伝わる伝統的信仰の姿を学ぶ、思想史学ならではの関心に基づくフィールドワークでした。
 第3日目は、国立ハンセン病資料館の見学を行いました。ハンセン病をめぐる差別と患者の生を真摯に受け止め、日本近現代史の一つの側面について学ぶ有意義なものでした。以上で全日程を終了しました。

 この度の研究報告会の開催にあたり、埼玉大学の井上智勝先生および井上研究室の皆さまには多大のご協力を頂きました。会の成功はかかって埼玉大学の皆さまのおかげであり、この場をお借りして深く感謝申し上げます。また、東北大学・千葉大学・立命館大学の諸先生方にも、様々なご支援・ご助言を頂きました。厚く御礼申し上げます。さらに、遠方よりご足労いただいた参加者の皆さまにおかれましても、運営の不手際にも関わらずお付き合いいただき、ありがとうございました。

 今日、世界的には「アラブの春」から中東・ウクライナの混乱や、国際的金融危機とその余波が続いています。国内的にも、3.11から安倍内閣の特定秘密保護法、集団的自衛権容認の閣議決定など、私たちが歴史の重大な岐路に立たされていることは明らかでしょう。こうした社会の激流のただ中にあって、歴史学・思想史学を共有する私たちの学問的営為も、また厳しく問われています。明日の研究を担う若手研究者が集うことは、この点でも大きな意味を持っていたものと理解します。
 今回の開催にあたって、「歴研、日本史研などのサマーセミナーに負けないような、若手院生による思想史合宿の端緒になれば」という励ましを受けました。ここに研究報告会が無事に成功したことをご報告するとともに、今後の会のさらなる発展および次の合同の取り組みが叶うよう微力を尽くす所存です。今後とも皆さまの暖かいご支援・ご協力を賜りますよう、何卒よろしくお願いします。
                     日本思想史研究会
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2014年7月17日例会富山報告要旨

本報告は、 7月3日の安久報告および原田報告を引き継ぎつつ、17日の松川報告および殷報告も踏まえて、
安丸良夫の研究者としての出発点を分析する。安丸は繰り返し1962年に発表された「日本の近代化についての帝国主義的歴史観」(『新しい歴史学のために』81号・82号)について、自らの研究の原点として言及している。
本論文は1960年の第1回日本近世史サマーセミナーでの報告が元になったもので、 その内容はいわゆる「近代化論」を日米の帝国主義的思想の新たな展開であると評価し、その危険性と現代性を指摘したものである。そこには二つの背景が指摘できる。
 第一に、この論文が模索のなかで書かれたものであるということである。安丸が受動的にせよ国民的歴史学運動などの1950年代の急進的な社会運動に直に接しており、
その後の丸山真男への関心や安保闘争への参加へと繋がっていることが推測できる。安丸の実質的な処女論文(1958年)が講座派マルクス主義の明治維新論批判であったことはマルクス主義諸理論への関心抜きにはありえず、
その後60年代半ばに至るまで階級闘争の観点の相対化のための厳しい模索が続いていたと言える。
 第二に、京都大学を中心とする若手研究者ネットワークの存在である。安丸は50年代後半の「マルクス・ルネッサンス」を指摘しつつ、それとは異なったもう一つの流れとして自らを含む民衆思想史を位置づけている。
しかし、当時の京都大学では黒田俊雄・鈴木良・河音能平・芝原拓自・原秀三郎ら安丸の同年代の若手研究者が活躍し、日本史研究会の大会報告やマルクス主義歴史理論の再検討などで活躍しており、当時の日本の歴史学界をリードしていた。安丸もまたその一員である。
その後、彼らは人民闘争史研究をめぐって分化してゆき、75年頃で日本の歴史学におけるマルクス主義の創造的役割は終わったと安丸は評価することになった。

文責:富山
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