日本思想史研究会(京都)のブログ

本研究会は立命館大学を拠点に、歴史学・思想史の問題について時代・地域に捉われることなく、深く考えていく場として設立されました。2014年度後期例会は、個人研究テーマ報告です。

2014年1月16日李報告要旨

近世日本の釈奠礼と儒者の道統意識
 ――「聖人」を求めた人たち――

釈奠(釈菜)は、近世日本儒教思想史研究で見落とされた祭祀儀礼といえる。孔子廟という非日常的な祭祀空間の存在や、釈奠という儀礼の挙行について分析することは、近世儒者のアイデンティティー・儒教「受容」の形態・儒教の在り方を考えるのに必要である。今回の報告は、釈奠礼を「道統」意識と関連づけて考える可能性を試みた。

林家塾の釈菜の従祀の仕方は朱子学の道統図を反映している。林羅山は「文運」と道統の隆盛を期待し、孔子廟参拝・釈菜参加のたびに詩を詠み、その中で孔子・孟子・周濂溪を讃えて「聖人正統」を賛美し、自分の私塾を白鹿洞書院に譬えることが分かる。林鵞峰は、釈菜における「問答」の儀式で「五星聚奎」に代表される「濂洛学」の隆興を讃え、また「庚戌」という干支に一種の「運命」を感じ、「文学隆盛の運」を期待して道統の伝承を自負している。一方、中村惕斎は、釈奠における漢唐「伝経之儒」の祭祀を斥け、朱子の滄州精舎の釈菜式を採用し、「異術」を否定している。

闇斎派の場合、一方では蟹養斎や山口景徳のように従来の道統の継続を考える人がいる。彼らの思案した釈奠式は「孔子―顔曽思孟―程朱学者」の系譜に「山崎先生」「浅見先生」など闇斎派の先師を取り入れるものである。一方では、浅見絅斎や三宅尚斎のように、「官許」という条件を釈奠に賦与し、「名分」という基準を導入する人もいる。また若林強斎のように、従来の道統と違うもう一つの「道統」(文化的系譜)の創立、つまり「日本」における「道統」の自立の傾向をもたらす人もいる。

釈奠礼の変遷から道統意識の変化を考える一方、「道統」を内面修養によって実現されるもの、道統意識を「一種の主観的独断に近い信仰」として捉える時に、釈奠礼という儀礼によってそれを外面化(外に出してアピール)することの意味も、改めて考えるべきである。

文責:李月珊(東北大学大学院)
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