日本思想史研究会(京都)のブログ

本研究会は立命館大学を拠点に、歴史学・思想史の問題について時代・地域に捉われることなく、深く考えていく場として設立されました。2014年度後期例会は、個人研究テーマ報告です。

2014年1月16日例会高橋氏報告要旨

【題目】 蟹養斎における『小学』の位置

 本報告では、闇斎学派の儒者・蟹養斎(1705~78)が、「朱子学」入門書である『小学』をどのように活用したのかという〈初学教育〉論に注目することで、蟹養斎における『小学』の位置付けを明らかにすることを試みた。
 朱熹の『小学』は、江戸期において必ずしも「入門書」の位置にはなかった。ただこの『小学』から「朱子学」を学ぶことに重視したのが闇斎学派である。そのなかでも蟹養斎は、『小学』を童子が読むべき入門書としてではなく、庶民一般に向けた教育書として自らの「教育課程」に組み込んだ。次段階で読むべき『大学』の前提として、たとえ大人であっても理解せねばならない書物として『小学』を位置づけようとしていた。養斎は、『小学』を『大学』を理解する前提として『大学』の段階で学ぶべき〈道理〉などを粗々掴む書であると捉えていたのである。
 養斎が『小学』をこのような入学書の位置付けをしていたのは、初学者が手間取ることなく学び、行い得るものではないことを理解していた事に拠るだろう。はじめから「志」ある者は稀なので、明確で揺るがない「志」を立てることは、逆に大きな「志」を立てることを損ねることになることを養斎は理解していた。そのため養斎は『小学』に対して、粗々「道理」を掴み、それを心身に「染みこませる」ような在り方を求めたのであった。
 このような『小学』の位置付け方や、その背後にある初学者に対する養斎の視線は、養斎が必ずしも学問への志を高く奉じて学問へと向かっていた学習者のみに囲まれていた訳では無かったことを示唆する。学問へと触れる人口が増加するに従って学習者を如何に学問へと着手してゆくのか、という課題に自覚的となっていたことが窺えるのではなかろうか。

文責:高橋恭寛
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2013年度の例会は終わりました

2013年度の例会につきましては、すべて終わりました。

本年度は、弊会におきましても様々な意味で節目となったものでした。

改めて、本研究会出身の諸先輩が築きあげてきたものの「重み」を感じている次第です。

今後とも弊会へのご指導・ご鞭撻を賜っていただきますよう、何卒よろしくお願い申し上げます。

新年度の予定などは詳細が決まり次第、改めてご連絡致します。

誠に簡単ではありますが、先ずは御礼の挨拶のみにて、この場を失礼致します。

文責:岩根卓史
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2014年1月16日例会李月珊氏報告題名及び要旨

報告:近世日本の釈奠礼と儒者の道統意識

報告者:李月珊(東北大学大学院)


【報告要旨】
道統とは、儒教思想史の中で真理の伝承を担う聖賢の連続的な系譜とされるものである。孔子をはじめとした先聖先師を祀る釈奠は、この系譜をビジュアル化する祭祀儀礼である。近世日本の儒者は釈奠礼の設定に当たっていかなる基準を持つのか、それは彼らの道統意識とどう関わるのか、このような問題の究明は、近世日本の儒者・儒教の在り方を考えるのに有益である。今回の報告は林家と闇斎派の者を例に具体的な考察を行う。


【参考文献】
土田健次郎「朱子学の正統論・道統論とその東アジア的展開」(平成15年度~平成17年度科学研究費補助金研究成果報告書)。
ジェームズ・マクマレン「武家の釈奠をめぐって――徳川時代の孔子祭礼――」(『公家と武家Ⅲ 王権と儀礼の比較文明史的考察』思文閣出版、2006年)。
韓東育「<道統>的自立願望與朱子学在日本的際遇」『中国社会科学』2006年3月。
黄進興『優入聖域:権力信仰與正当性』(中華書局、2010年)。
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2014年1月16日例会高橋氏報告題名及び報告要旨

来週の例会は、東北大学から二名の報告者をお招きして行います。

次回報告者の高橋恭寛さんからの報告題名と報告要旨は下記の通りです。

報告題名;蟹養斎における『小学』の位置

報告者:高橋恭寛(東北大学)


【要旨】

中国南宋の儒者朱熹が大成した「朱子学」には『小学』という入門書が存在する。日本においても、中村惕斎や闇斎学派などに代表されるような「朱子学」を忠実に学ぼうとする儒者たちがこの『小学』を重んじていた。
 そのような儒者のなかでも、とりわけ実際の教育の場面で重視したのは、崎門三傑の一人・三宅尚斎(1662~1741)とその弟子の蟹養斎(1705~1778)であった。阿部〔1940〕が指摘するように、尚斎の私塾「培根達支堂」では、『小学』を庶民教育の書として用いていた。その一方で蟹養斎は、尚斎による「培根」「達支」という学問階梯の構想を継承しつつも、尚斎とは一線を画するように見受けられる。そこで本発表では、蟹養斎による『小学』受容に注目することによって、江戸期における初学教育の一端を明らかにすることを試みる。

【参考文献】
阿部吉雄「三宅尚斎の庶民小学教育説と培根達支堂」(『漢学会雑誌』8-1、1940)
高木靖文「蟹養斎教授法の一考察」(『新潟大学教育学部紀要、人文・社会科学編』26-2、1985)
白井順「蟹養斎の講学:九州大学碩水文庫を主たる資料に仰いで」(『哲学年報』70、2011)
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2014年1月9日例会報告題名及び報告要旨

明日の例会につきましてお知らせ致します。

報告題名と報告要旨は下記の通りです。

奮ってご参集いただければ幸いです。


報告題名:近世における朝鮮の石碑顕彰(仮)

報告者:崔載國(埼玉大学大学院)



【報告要旨】
近世日本と韓国では、異なる時期に石碑への関心が示されたとみられる。本研究では、このような背景を念頭に置いて、朝鮮の金石学の研究のことを話したい。朝鮮金石学の中心にいる金正喜(1786-1856)の金石学と彼の金石学を継承してると思われる吳慶錫の金石学を先行研究及び著作を中心として確認しようする。

【参考文献】
任世權「朝鮮時代金石文研究の実体」『国学研究』創刊号、韓国国学振興院、2002年
金南斗「『禮堂金石過眼錄』の分析的研究」 檀國大学校大学院修士学位論文、1989年
趙成山「18世紀後半-19世紀前半、朝鮮の碑學の流行とその意味」『精神文化研究』第33巻第2号、2007年
趙成山「18世紀後半-19世紀前半の対清認識の変化と新しい中華観念の形成」『韓国史研究』145号、韓国史研究会、2009年
朴徹庠「秋史金正喜の金石学研究‐歴史考証的側面を中心に‐」啓明大学校大学院修士学位論文、2010年
リ・ギュウピル「吳慶錫の『三韓金石錄』に対する研究」『民族文化』29、民族文化推進会、2006年
藤塚隣『清朝文化東傳の研究』国書刊行会、1975年
藤塚鄰著・藤塚明直編『清朝文化東傳の研究‐ハングル完訳本‐』尹哲圭・李忠九・金奎璇訳、果川文化院、2008年
兪弘濬『阮堂評傳』學古齋、2002年

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2013年12月12日例会報告要旨

闇斎学派の南朝正統論──神皇正統記の受容史における転換


本発表の課題は、南北朝期に北畠親房が著した『神皇正統記』の近世における受容史を「系譜学」的に読み直すことにより、近代日本の国家をめぐる言説の歴史的由来を探究することにある。そもそも正統記の「正統」論は、「正理」、すなわち歴史の道徳的応報性という言説を導入することで南朝の正統化を図ったものであった。明徳三年(1392)、北朝に神器を譲渡して以降、南朝は事実上敗北するが、正統記の思想は再解釈を経て継承されていく。たとえば新井白石や山鹿素行は皇室の衰退は武家に統治者としての天命が移ったことを意味すると解釈した。
かかる近世の正統記受容史において転換をもたらしたのは闇斎学派の南朝正統論であった。山崎闇斎にとって正統記から受け継いだ「神皇正統」の理念は、日本における道の実践の証しという意味を持っていた。「神皇正統」の立場から闇斎は南朝正統を主張するが、その際に問題となるのは南朝の敗北という事実であった。そこで闇斎は神器正統論、すなわち神器を有する天皇を正統とするロジックによって道徳的応報性の歴史言説を乗り越え、「神皇正統」の特異性を守ったのである。

闇斎の南朝正統論はその門弟に受け継がれていくが、その論拠に関する解釈は一様ではなかった。闇斎学派第二世代を代表する浅見絅斎と佐藤直方はあくまで朱子学の正統論に原理的に依拠して南朝正統を主張し、「神皇正統」の特異性を認めない点で同一の言説に立脚している。他方で正親町公通を経て継承された神器正統論は、跡部良顕、若林強斎、栗山潜鋒、味池修居ら第三世代において大きな力を持つようになる。天野信景と吉見幸和の例が示しているように、その背景にあったのは十八世紀における歴史言説の転換であったろう。しかし闇斎学派においては道徳的応報性という歴史言説もなお保持されており、天皇に君徳を身に付けさせることで朝廷を復興させるという戦術も生み出されたのだった。

文責:齋藤公太(東京大学大学院)
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弊会の会則を最新のものに修正しました

新年明けましておめでとうございます。

本年もどうぞよろしくお願い致します。

弊会の会則を最新のものに改めましたので、ご確認のほどよろしくお願い致します。

http://nihonshisoshi.blog64.fc2.com/blog-entry-107.html

本年も弊会へのご支援・ご指導のほど、何卒よろしくお願い申し上げます。


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