日本思想史研究会(京都)のブログ

本研究会は立命館大学を拠点に、歴史学・思想史の問題について時代・地域に捉われることなく、深く考えていく場として設立されました。2014年度後期例会は、個人研究テーマ報告です。

研究会夏季合宿につきまして

下記の内容で、本研究会の夏季合宿を行います。

日程:9月10日(火)~12日(木)

場所:名古屋市青少年宿泊センター

参加者:17名

スケジュール

9月10日(火)

13時

現地集合 (わからない方は 12時 名古屋駅集合)

13時~

入室処理

13時30分~14時20分

研究報告①(質疑応答込み50分)

14時20分~15時10分

研究報告②(質疑応答込み50分)

15時20分~16時10分

研究報告③(質疑応答込み50分)

16時10分~17時

研究報告④(質疑応答込み50分)

17時30分~

食事

~21時

施設門限

9月11日(水)

9時

出発 JR南大高駅―(9分)→JR熱田駅

熱田神宮見学(1時間半ほど)

11時30分

市営地下鉄神宮西駅―(20分)→市営地下鉄大須観音

一旦解散し、大須観音見学(30分ほど)、各自商店街にて昼食。

14時 

市営地下鉄大須観音駅集合

市営地下鉄大須観音駅―(12分)→市営地下鉄市役所

名古屋城見学(1時間半ほど)

17時~ 

食事

~21時

施設門限

9月12日(木)

8時30分~

退室手続き

9時~9時35分

書評報告①(質疑応答込み35分)

9時35分~10時10分

書評報告②(質疑応答込み35分)

10時20分~10時55分

書評報告③(質疑応答込み35分)

10時55分~11時30分

書評報告④(質疑応答込み35分)

11時40分

解散

(時間のある人は徳川美術館・蓬左文庫へ追加調査)
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7月18日例会石原報告要旨

竹内好が、文明という基準でもってアジアを見る日本をどう語っているのかという点に興味があったため、文庫版著作集の題ともなっている「日本とアジア」をテーマとした。

 この文章は文明一元観批判を軸に日本の近代、そして竹内の生きた時代の批判が展開されている。この背景には、戦後の諸政策の中で、何ら自らの手で方向性を見出せないまま、エセ文明の中にとらえられていく日本の当時の状況があろう。文明(=西欧)という価値を追い求めたが故に、文明から断罪されるに至った戦前と同じものを見ているのだろう。普遍の価値を盲目に追従していくことに対して疑念を抱くことという姿勢は、この文書が書かれた4年前の「アジアの進歩と反動」の中での、「普遍的な進歩」「普遍的な反動」であるという保証があるのかという疑念とも重なるものだろう。このような、他者から与えられた価値を無我夢中に追う姿勢を批判し、一方で危機感をもって独力で新たな文明を発見するアジアを理想とすることは、今期の研究会で明らかにしてきた竹内像と重なるところかと思う。

 竹内がこの時点で批判している文明一元観は、アジアに渡ることが難しかった時代の人々に向けられた批判であるが、一方で現在は簡単に行き来できるようになった現在でも日本のアジアの見方は大きく変化を遂げていないのではないかという疑問から、竹内の示唆から現在のアジアとの関係を考えることを試みた。

文責:石原
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7月18日例会石原報告討論要旨

石原和氏より「日本とアジア」(初出『近代日本思想史講座』第七巻、筑摩書房、1959年)の報告が行われた。主に石原氏が私見として出された部分につき、質疑が行われた。
報告者が、現在も日本において「アジアの盟主」であるという意識が続いていると指摘している箇所に対して、松川雅信氏よりここで出されている「アジアの盟主」をどう定義して考えているのかという質問が出た。報告者からは、日本のアジアに対する優越感を指して使用した事、そしてなおもそれが戦前日本より継続している問題であるという応答がなされた。これに対して引き続き、松川氏より、むしろ「アジアの盟主」は、戦前にとなえられた「東亜新秩序」が欧米を意識したものであり、その意味では断絶しているのではないかという質問が出たが、報告者からはアジアへの文明的な優越的な感覚を指して使用したことを強調した。最後に、その問題は竹内好の問題だけでは考えられず、資本主義の問題も含めたものではないかという指摘がなされた。
次に田中俊亮氏より、竹内が文中に使用している「エセ文明」という言葉に対して、石原氏が私見の中でアメリカ、西欧を「エセ文明」として捉えているのは文脈的に違っているのではないかという質問がなされた。報告者は、「エセ文明」は「追従すべきもの」として考えていると応答がなされた。これに対して、「エセ文明」は日本が文明開化のような形で歪んだ形での「文明」を取り入れたことなどを指してのことではないかという再度の質問に対して、報告者は東京裁判におけるパール判事の「文明」の虚偽を念頭にして捉えていたという応答がなされた。

文責:山口
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7月18日例会山口報告要旨

報告では、竹内好「近代主義と民族の問題」(初出『文学』66号、1951年)について報告した。
民族という要素はかなりの比重を持ち、あらゆるイデオロギイあるいは文化の問題がこの要素を除外しては考えられない。にもかかわらず、戦後日本においては「民族主義=悪」と「民族主義(または民族意識)」からの脱却という構図があり、文学においてもヨーロッパ文学に比しての「日本文学の歪み」の議論が中心であった。これが「日本文学の自己主張を捨てている状態」であり、また民族を思考に含まず、排除する「近代主義」の問題を指摘した。日本ではこの民族の切り捨てこそがナショナリズムを帝国主義と結びつかせ、そのウルトラ化へと至らしめた。そして戦後という再出発の時期に近代主義と民族主義の止揚の必要性つまり主体性の欠いた文化構造から民族主義の回復させる「国民文学」の必然性を唱えたものであった。
疑問点としては第一に、主体としての民族の底辺をなしている「東洋」が「ヨーロッパ」との接触の中で形成されたものであり、その前提としての「東洋」から出発した時点で、「中国」・「アジア」そのものが問題になるのではなく、そこでは主体たる「東洋」を立ち上げせしめた「ヨーロッパ」が鏡像として立ち現われざるを得ないのではないか、第二に近代化の問題において竹内は「中国」そして「中国革命」をまなざしていたが、そこには「ヨーロッパ」の鏡像としての「アジア」・「中国」つまり彼が批判した近代主義者的な発想があったのではないかを提示した。特に第二点に関しては確かに中国への視線や日本共産党批判においては先駆的であったが、その中で逆に彼の言う「近代」や「権力」というものへの「徹底的な視座」にまでいたれなかったのではないかということも併せて述べた。ただし、埴谷雄高や丸山真男などの竹内に対する視線には「近代主義を批判する近代主義者」そして「コスモポリタニズムが感覚としてある」と評したことは、逆に竹内に近代主義を超えた近代あるいは、欧米に規定された東洋というものを突き抜けた先の主体性の可能性を見ていたのかもしれないとも提示した。

文責:山口
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5月9日例会報告要旨

本報告では、竹内好「日本人の中国観」の内容を要約したうえで、竹内が「日本人の中国観」を書いた背景、特に社会情勢への考察を目的とした。そこでは、大きく分けて二つの議論を扱っている。
一点目は、竹内の論文内でも出てきている張群の来日時の行動である。張群は、「日本人の中国観」が出される前年に来日し、帰国前に日本国民へのメッセージを発している。「日本人の中国観」では、そのメッセージに竹内が応答するかたちをとっているので、報告者は張群のメッセージの内容や、張群がメッセージを発する契機となった、当時の日本の社会情勢の考察を試みた。その際、当時の新聞の記事から張群の行動を把握し、加えて来日時に張群が会った人々の認識が、張群には都合の悪いものであったことを指摘した。
二点目では、「日本人の中国観」が書かれた時期における中国への認識の影響力を考察するため、馬場公彦氏の議論を援用した。そして、戦後に出版された主要雑誌への掲載本数などから、日本共産党系の知識人の書いた論文が影響力を持っていた社会情勢であったことを述べた。

文責:坂元
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