日本思想史研究会(京都)のブログ

本研究会は立命館大学を拠点に、歴史学・思想史の問題について時代・地域に捉われることなく、深く考えていく場として設立されました。2014年度後期例会は、個人研究テーマ報告です。

本年度の活動は終了しました

例年ですと、春季合宿が行われていましたが、

その振替として、最近では海外の研究機関との交流を目的とし、

韓国・中国への旅行を行っています。

そのため、本研究会の本年度の活動につきましては、

最新号の会報の刊行と発送作業が無事に済んだことを受けまして、

本年度の活動は終了しました。

来年度の研究会は、次号の研究会会報が30号という節目を迎えることもあり、

今まで以上に、会員同士による研鑽を積み重ねていく所存です。

今後ともご指導・ご鞭撻を下さりますよう、よろしくお願い申し上げます。

文責:岩根卓史
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11月1日例会報告要旨

本報告では中村が「敬天愛人」という形をもって受容したキリスト教について考察を加えてみた。

まず、明治初期における啓蒙思想家たち(主として中村正直、津田真道、西周、福沢諭吉)の宗教に対する理解を考察した。中村は積極的にキリスト教の信仰内容を伝道し、津田はキリスト教を不開化の民を善道に導くものとして捉えている。この意味において中村は津田と同じ、「キリスト教」を「文明」として理解し、それを近代国家形成の原理とみなしたのである。西周は政教一致を批判し、福沢はキリスト教が、日本の国家の利害に反するものだと批判した。同時代の啓蒙思想家と比較しながら、中村はキリスト教を日本の近代化に役立つものと見なしたことはより明らかになったと思われる。

次に、中村の理解したキリスト教に検討してみた。アメリカの宣教師ウィリアム・マーティンの書いた『天道遡原』は、中村の「敬天愛人説」と『請質所聞』とほかの論文の内容にかなり重なり合う所がある。とりわけ、超越者に関する同じ用語が多い。しかし、中村は父なる神を「上帝」として理解したが、母なる聖霊と子なるキリストには全く理解していなかった。彼の敬天愛人思想も、イエス・キリストを媒介することのない儒教的敬天と愛人であり、敬天と愛人とを強力に結合すべきキリストは、存在しえなかった。

文責:王
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日本思想史研究会会報第29号

【巻頭言】

朴晋雨:三・一一と象徴天皇制

【論文】

金津日出美:東アジア近現代をいかに記述するか

村上麻佑子:古代の時間認識からみる統治の正当性の変遷

松川雅信:「朱子」と「日用」のあいだ―絅斎・強斎による『朱子家礼』の受容

田中俊亮:前期水戸学における「〈実〉の戦略」―安積澹泊の諸言表をめぐって

石原和:名古屋城下における如来教信仰-一八〇〇年前後の宗教社会の中の民衆宗教

【書評】

松本智也:グレゴリー・J・スミッツ著『琉球王国の自画像-近世沖縄思想史』

沈煕燦:上田学著『日本映画草創期の興行と観客―東京と京都を中心に』

冨山仁貴:櫻澤誠著『沖縄の復帰運動と保革対立ー沖縄地域社会の変容』

【彙報】

ニ〇一一年度活動報告

定価:700円
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日本思想史研究会会報第29号発刊のお知らせ

日本思想史研究会会報の最新29号が発刊されました。

バックナンバーは下記の通りです。

【巻頭言】

朴晋雨:三・一一と象徴天皇制

【論文】

金津日出美:東アジア近現代をいかに記述するか

村上麻佑子:古代の時間認識からみる統治の正当性の変遷

松川雅信:「朱子」と「日用」のあいだ―絅斎・強斎による『朱子家礼』の受容

田中俊亮:前期水戸学における「〈実〉の戦略」―安積澹泊の諸言表をめぐって

石原和:名古屋城下における如来教信仰-一八○○年前後の宗教社会の中の民衆宗教

【書評】

松本智也:グレゴリー・J・スミッツ著『琉球王国の自画像-近世沖縄思想史』

沈煕燦:上田学著『日本映画草創期の興行と観客―東京と京都を中心に』

冨山仁貴:櫻澤誠著『沖縄の復帰運動と保革対立ー沖縄地域社会の変容』

【彙報】

ニ○一一年度活動報告

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研究会の旧ホームページに関しまして

本研究会は、ホームページも運営していました。

しかし、情報の一元化をするために自動的にこちらのブログに移動するように、

設定を変更しました。

本研究会の情報が知りたければ、本ブログやツイッターのアカウント(@kyoto_shisoshi)をフォローしてください。

よろしくお願い致します。
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本研究会ホームページ内のバックナンバー情報をブログに移行しました

本研究会のホームページにて、会報24号までのバックナンバー情報をブログに移行しました。

記事の整理などはまだ行っていませんので、お見苦しいところ、申し訳ありません。

また、24号以降の最新号までのバックナンバー情報も付け加えました。

何卒、よろしくお願い致します。

岩根
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12月20日例会報告要旨

【報告要旨】


本報告では、教育勅語の「国民道徳協会による口語文訳」として知られる文章を取り上げ、この訳文の流布過程と、この種の現代語訳が戦後の教育勅語復活論の中で持つ意味についての考察を試みた。
 元衆議院議員(自民党所属)の佐々木盛雄が一九七二年に発表したこの「口語文訳」は、「皇祖皇宗」と「爾祖先」に同じ「私達の祖先」という訳を当てる、「以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」を無視する、等々の意図的誤訳と歪曲により、明治天皇が臣民に対して天皇に対する永久の忠誠を求める、という、教育勅語が本来持っている国体論的構図を隠蔽しており、教育勅語とは別内容といっていいほどの奇妙な「訳」文となっている。
 にもかかわらず、この訳文は発表直後に明治神宮発行のパンフレットに採用されて広く知られることになったのみならず、一九七九年頃からの神社本庁・「日本を守る会」等を中心とした教育勅語キャンペーンにおいても広く採用され、あたかも定訳であるかのような扱いを受けることになった。二〇一二年末現在も明治神宮等での頒布は続けられている。
 一九六四年から二〇〇三年にかけて発表された、教育勅語擁護論の立場に基づく現代語訳十一種を比較検討したところ、この種の、国体論的構図を隠蔽する一方で、「父母ニ孝ニ」以下の徳目条項の普遍性を強調し、その延長下で「愛国」を要求するという性格を持つ「訳」文は、一九七〇年代初頭に数種類登場していることが確認された。より原文に忠実な訳文も存在するにもかかわらず、明治神宮などの神社神道勢力ではこの種の訳文を積極的に流布させている。
 この種の訳文は、高度成長期以後の、戦前的国体論への単純回帰が困難という状況を前提として、現代社会に受け入れやすくするため、意図的に内容を読み替えたものと考えられる。

文責:長谷川亮一
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11月8日例会報告要旨

16世紀の東アジアにおける貿易拡大のきっかけは、日本における銀の生産の急増であった。16世紀の半ばになると、東シナ海の貿易のにない手として、ポルトガルとスペイン、新たな勢力が登場した。

16世紀、イベリア両国が地球を逆まわりしてアジアで出会ったことにより、有機的連関で結ばれた地球規模の「世界」が、ヨーロッパの主導権のもとで端緒的に成立して、その波は、確実にユーラシアの東の涯にある日本列島までうち寄せた。「世界の中の日本」という命題は、このとき真の意味をもって成立したのである。

この世界システムの中心に中国が位置したことはいうまでもないが、その辺境部にある日本やその周辺は、中国から一定程度自立したサブ・システムを形成また指向していたと考えられる。その構造と論理は、中国中心の世界システムとどこが共通し、どこが違うのか。また、このサブ・システムは、「ヨーロッパ世界経済」との接触においても、独自の様相を示すと予想される。

日本では、16世紀後半に織田信長、豊臣秀吉らがいち早く国際商業と結びつき鉄砲などの新軍事技術を取り入れて日本の統一したわけが、大局的に見れば、この動きも、東アジア東南アジアにおけるこの時期の商業=軍事的な国家形成という流れのなかでとらえられると思われる。こうした新興国家の軍事的膨張が海を越えて突出したのが、秀吉の朝鮮侵略であった。

豊臣秀吉の朝鮮侵略の予定では、大陸征服戦争の勝利後、寧波に居所することであった。なぜかというと、寧波からだと新しい帝国を支配するだけでなく、東アジアの交易も支配できるということがあるからである。つまり、秀吉が寧波から経済的ネットワークを成立し、そのネットワークが新たな世界経済・世界システムの一番重要な部分を担うという考えがあったと思われる。

 また、秀吉は服属要求の対象をさらに拡大し、アジアの他の地域に対しても積極的な強硬策で臨もうとした。秀吉の目論見は東アジアの世界システムを再編成することにある。つまり、世界帝国を造るという野望で、「中国中心の世界システム」から「日本中心の世界システム」へ変更しようとしたと思われるのである。

文責:サルバトーレ
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