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日本思想史研究会(京都)のブログ

本研究会は立命館大学を拠点に、歴史学・思想史の問題について時代・地域に捉われることなく、深く考えていく場として設立されました。2014年度後期例会は、個人研究テーマ報告です。

2018年12月18日(火)例会予告

論題1:明治初期の宗教政策――巫女と禁令を中心に

報告者:キム・ナヒョン

要旨:
 日本の民俗学の大家である柳田國男の「巫女考」のなかでミコの二つの種類、また各地方のミコという日本のシャーマン、そのなかでも女性だけをとりあげたミコという存在について民俗学の視点から考察している。そのなかで目立つのは当時のミコの一般的なイメージである。当時のミコのイメージというは神社の社頭で白い著物に紅の袴をはき鈴を以て舞うところの干菓子のごとく美しい少女をミコと呼んでいたらしい。そして現代人においてもこのイメージはさほど変わらないように見える。
 しかし柳田國男はもちろん他の民俗学者たちも説明しているよう、ミコという存在は神社に従事してるものだけでなく、よりシャーマニズム的な民間で口寄せ、占い、病気治しなどを行っていたもうひと種類のミコが存在する。この者たちは民間、または民衆のなかでいろいろな役目を果たしていた。これが日本の近代化の過程、特に明治維新とともに行われた神仏分離という宗教政策の中で法律的にその行為を禁じられることになる。
 本報告ではその二種類に分けられるミコという存在の確立、また日本の近代化の中でどのような禁令を受け、また地方でどのような行為について禁令が下されていたのかを整理することを目標とする。

参考文献:
・『法令全書』(内閣官報局、1868年)
・柳田國男「巫女考」(『柳田國男全集11』筑摩書房、1990年)
・中山太郎『日本巫女史』(国書刊行会、2012年、初出1930年)
・竹内利美・谷川健一編『村落共同体』(三一書房、1979年)


論題2:丸山眞男「弁証法的な全体主義」の思想史的位置付け――国家の概念に注目して

報告者:平石知久

要旨:
 近年の丸山眞男研究を取り巻く状況は、東京女子大学の丸山眞男文庫を中心として史料的な整備が進む中で、丸山の思想形成を時代背景と結びつけて理解する試みが活発化している。しかしながら、戦中期以前における丸山の政治思想の位置付けは必ずしも十分に行われているとは言えない。その理由は、第一には戦時下という時代状況の中で政治的発言が実質的に不可能であったこと、そして第二には当該時期における著作の絶対数が少なく、また一見して純粋に学術的なものであるという点にある。前述の二点から戦中以前、特に戦前期における丸山の著作が対象とされることは少ない。
 本研究ではこうした現状に鑑み、最初期の丸山の著作である「政治学に於ける国家の概念」に焦点を当て、その中で提唱されている「弁証法的な全体主義」の、政治思想としての位置付けを行いたい。本概念はすでに先行研究で、マルクス主義の影響(吉田傑俊氏)、京都学派の哲学者である田辺元の影響(今井弘道氏)、自由主義原理と民主主義原理の緊張関係(笹倉秀夫氏)という三つの観点で分析されている。本研究では、上記三研究をそれぞれ分析・批判し、その上で本概念がヴェーバーとルカーチによる物象化論の影響を受けていることを明らかにする。

参考文献:
・石田雄『丸山眞男との対話』(みすず書房、2005年)
・飯田泰三『戦後精神の光芒』(みすず書房、2006年)
・今井弘道『三木清と丸山真男の間』(風行社、2006年)
・今井弘道『丸山眞男研究序説 「弁証法的な全体主義」から「八・一五革命説」へ』(風行社、2004年)
・苅部直『丸山眞男――リベラリストの肖像』(岩波文庫、2006年)
・笹倉秀夫『丸山眞男の思想世界』(みすず書房、2005年)
・冨田宏治『丸山眞男――近代主義の「射程」』(関西学院出版会、2001年)
・吉田傑俊『丸山眞男と戦後思想』(大月書店、2013年)
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2018年12月3日(火)例会予告

論題:山脇東洋における「古医道」――その「三綱」に注目して

報告者:向静静

要旨:
 山脇東洋(1705–1762)は、後藤艮山、吉益東洞、香川修庵と並ぶ古方派の四大家である。彼は医家清水立安の長男として生まれ、医学を山脇玄修(1646–1729)に学び、その嗣子となった。享保十四(1728)年に家督を継いで、翌年の1729年に「法眼」の号を授けられている。院号は「養寿院」である。東洋は『黄帝内経・素問』『黄帝内経・霊枢』『難経』などの中国の古典医書が説いている五臓六腑説の是非をただすために、杉田玄白の小塚原における解剖に先立つこと17年、宝暦四年閏2月7日に官許を得て、京都六角獄舎において日本で初めて刑屍体の「腑分け」に立ち合い、実見した記録を『蔵志』としてまとめ、五年後の1759年に公刊に至った。そのほか、彼は当該期の日本ではあまり知られていなかった唐代の王濤の『外台秘要方』の翻刻を実施し、彼の息子である山脇東門(1736–1782)及び門下生である永富独嘯庵(1732–1766)を福井の医家である奥村良竹(1686–1760)のところに送り、「吐方」を学ばせた。今までの研究は、東洋の「観臓」のみに注目し、「観臓」の持つ医史学・文化史的な意義、「観臓」が科学であるかどうかなどをめぐる議論が盛んになされてきた。今回の報告では、東洋の「観臓」の動機を彼の「古医道」の一環である「周之職」から検討し、含めてほかの「三綱」である「漢之術」「晉唐之方」を明らかにする。

参考文献:
・北山橘庵編『雞壇嚶鳴』(中之島図書館蔵、1764年)
・『近世漢方医学書集成13、後藤艮山・山脇東洋』(名著出版、1979年)
・『近世漢方医学書集成12、吉益東洞』(名著出版、1980年)
・佐野安貞『非蔵志』(浪花書林敦屋九兵衛刊行、京都大学付属図書館蔵、1760年)
・島寺良安『和漢三才圖會』上(東京美術株式会社、1970年)
・広瀬秀雄・中山茂・小川鼎三編『日本思想大系65 洋学下』(岩波書店、1972年)
・富士川游『日本医学史』(日新書院、1941年)
・山田慶児『歴史の中の病と医学』(思文閣出版、1997年)
・中山茂『近世日本の科学思想』(講談社学術文庫、1993年)
・日本学士院編『明治前日本医学史』第一巻(日本学術振興会、1955年)
・小川鼎三『医学の歴史』(中央公論新社、1964年)
・山田慶児『日本の科学』(藤原書店、2017年)
・佐藤昌介『洋学史の研究』(中央公論社、1980年)
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2018年11月27日(火)例会予告

論題: 東洋哲学の構築からみる「自己表象」の形成――井上哲次郎の「三部作」を中心に

報告者:古文英

要旨:
 日清・日露戦争期間の明治三十年代、四十年代の時期というのは、帝国としての日本の最初の跳躍の時期だといえよう。この時期において、日本考古学・古代史学・人類学(日本人種論)・言語学・国語学などの学問的確立によって一国史の「始源」の科学的実証、あるいは体系的一国文学史などの叙述が可能となりつつあった。桂島宣弘氏の指摘によると、学問的確立=知的制度化に伴って、東洋人を「代表」する日本人という観点を内に孕んで東洋学・東洋史学および、西洋・東洋の二分法からなる帝国意識としての他者認識が一国史の内実を規定づけていた日本思想史学が立ち上がった。
 本報告では、そのなかでも、日本思想史学の最初の確立者の一人と考えられる井上哲次郎に注目したい。アカデミー哲学創成期の哲学者として挙げられてきた井上哲次郎は、「三部作」として知られる『日本陽明学派之哲学』『日本古学派之哲学』『日本朱子学派之哲学』などにおいて東洋哲学の研究に西洋の哲学思想を移入するなか、東アジア、中国から自覚的に日本を摘出しようとした。本報告では井上哲次郎の学問の形成過程が見られる『懐中雑記』、三部作の著作過程が反映される『巽軒日記』を手掛かりとして、三部作及び関連著述の考察を行うとともに、井上は東洋哲学を構築しようとするに当たって、どのような思想遍歴をたどったのか、どのような西洋哲学を儒学の中に移入したのか、東洋哲学の構築にともなう「自己表象」のためにどのように「不可避の他者」と向き合ったのか、といった問題を考えることとしたい。

参考文献
・桂島宣弘「日本思想史学の「作法」とその臨界」『岩波講座 日本の思想第一巻』岩波書店、二〇一三年
・桑兵「近代「中国哲学」の起源」『近代東アジアにおける翻訳概念の展開』京都大学人文科学研究所、二〇一三年
・福井純子「井上哲次郎日記一八八四-九〇『懐中雑記』第一冊」『東京大学史紀要』一一号、一九九三年
・福井純子「井上哲次郎日記一八八四-九〇『懐中雑記』第二冊」『東京大学史紀要』一二号、一九九四年
・井上哲次郎『井上哲次郎集第九巻論文集、解説』クレス出版、二〇〇三年
・井上哲次郎「日本陽明学派之哲学序」『日本陽明学派之哲学』富山房、一九〇〇年
・井上哲次郎『日本古学派之哲学』富山房、一九〇二年
・井上哲次郎「日本朱子学派之哲学序」『日本朱子学派之哲学』富山房、一九〇六年
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2018年11月20日(火)例会予告

論題:近世中期における『尚書』研究

報告者:石運

要旨:
 『尚書』また、『書』『書経』とも言い、『詩』『礼』『易』『春秋』と併せて「五経」と称する。『尚書』は、三代からの史実や制度を記録するもので、漢代以来、統治者に重視されている。しかし、その原文は秦火によって散佚し、残篇しか残されなかった。漢の伏生の口授する二十八篇のほか(『今文尚書』と称す)、孔子旧宅の壁から発見されるものや河間献王本など民間より収集された逸書(『古文尚書』と称す)、東晋の梅賾の献上した五十八篇(偽『古文尚書』と称す)など様々な版本が現れ、その真偽を弁別し、内容を考証するための「尚書学」が次第に成立していった。その議論は主に二つに分類できる。(1)『尚書』の成立と伝承問題、(2)『尚書』の性格と内容に関する理解。
 中国における『尚書』の学術史に関しては、一本の論文で収拾し得るはずがないが、今回の問題関心は、主に近世中期の日本における『尚書』に対する受容と再解釈である。
 『尚書』は古くから日本に伝来し、統治者によっても重視されていたものの、近世以前、その研究を真剣に取り組む人は極めて少なかった。時代は近世に移行し、儒学の世俗化とともに「尚書学」も清原家一族に限定されることから解放され、新たな動向が見られるようになった。とはいえ、近世初期では、それに対する関心はなお低かった。近世中期に入り、学者たちは、宋明の「尚書学」の成果を受容しながら、その独自な見解を提示していた。従って、本報告ではこの「尚書学」の受容史を検討し、当該期の儒学の問題関心と最新動向を把握し、その背景となる東アジアにおける学問と思想の移動・交渉を明らかにする予定である。

参考文献:
・山口智弘「荻生徂徠の『尚書』観――『尚書学』攷証」『日本思想史学』(四二)、二〇一〇年;「『尚書』堯典と荻生徂徠――読解と思索について」『中国』(二六)、二〇一一年
・水上雅晴「日本中世時代『尚書』学初探――清原家的経学為考察中心」『揚州大学学報』(人文社会科学版)第一七巻第四期、二〇一三年
・青木洋司『宋代における『尚書』解釈の基礎的研究』明徳出版社、二〇一四年
・竹村英二『江戸後期儒者のフィロロギー――原典批判の諸相とその国際比較』思文閣出版、二〇一六年
・佐藤道生「清原家の学問体系と蔵書」『書物学 第十三巻』勉誠出版、二〇一八年

史料:
・東京大学南葵文庫蔵『書反正』明和二年刊本
・吉川幸次郎・清水茂校正『伊藤仁斎・伊藤東涯』岩波書店、一九七一年
・京都史蹟会編纂『林羅山文集』ぺりかん社、一九七九年
・三宅正彦編集・解説『古学先生詩文集』ぺりかん社、一九八五年
・三宅正彦編集・解説『紹述先生文集』ぺりかん社、一九八八年
・日野龍夫編集・解説『鵞峰林学士文集』ぺりかん社、一九九七年
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2018年11月13日(火)例会予告

論題:加藤周一における「藝術」の戦後思想

報告者:福井優

要旨:
 評論家、加藤周一(1919–2008)は、文学・政治・社会といった広範にわたる領域を縦横に論じた戦後知識人だが、『芸術論集』(岩波書店、1967年)、『日本その心とかたち』全10巻(平凡社、1987–88年)に代表されるように、とりわけ藝術に関する強い関心を持ち続け、評論や研究を精力的に展開した。本報告では、これまで本格的に論じられることの少なかった加藤の藝術論に焦点を当て、同時にその思想的営為が、戦後日本における人間や社会の変容という問題に深く根差すものであったことを論じる。
 したがって、本報告の問題の所在は、戦後日本に対峙し続けた加藤が、藝術的創造や藝術的感性、また日本の伝統的藝術に、どのような可能性を見出そうとしていたのかである。以上を踏まえ、具体的には、①加藤は高度成長による1950年代後半の日本社会や人間の変容をどのように受けとめていたのか、②それに抵抗するために藝術の重要性を説いた加藤の藝術論とはどのようであったか、③加藤が見た日本の伝統的藝術の可能性とはどのようであったか、の3点について検討し、今回は①②を中心に報告する。

参考文献:
・加藤周一『加藤周一著作集11 藝術の精神史的考察Ⅰ』平凡社、1979年
・加藤周一『加藤周一著作集12 藝術の精神史的考察Ⅱ』平凡社、1978年
・加藤周一、鷲巣力編『加藤周一著作集19 藝術における伝統と現代性』平凡社、1997年
・加藤周一、鷲巣力編『加藤周一著作集20 日本美術の心とかたち』平凡社、1997年
・都築勉『戦後日本の知識人――丸山眞男とその時代』世織書房、1995年
・小熊英二『〈民主〉と〈愛国〉――戦後日本のナショナリズムと公共性』新曜社、2002年
・鷲巣力『加藤周一を読む――「理」の人にして「情」の人』岩波書店、2011年
・趙星銀「「高度成長」反対――藤田省三と「一九六〇年」以後の時代」『思想』1054号、 2012年
・海老坂武『加藤周一――二十世紀を問う』岩波新書、2013年
・小関素明「加藤周一の精神史――性愛、詩的言語とデモクラシー」『立命館大学人文科学研究所紀要』111号、2017年
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