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日本思想史研究会(京都)のブログ

本研究会は立命館大学を拠点に、歴史学・思想史の問題について時代・地域に捉われることなく、深く考えていく場として設立されました。

2019年度東アジア思想文化研究会

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2019年度日本思想史研究会特別講演会

日本思想史研究会の皆様

酷暑の候、皆様におかれましてはますますご健勝の段、何よりと存じます。また、平素は格別のご高配を賜り厚くお礼申し上げます。

さて、2019年8月3日(土)に立命館大学(衣笠)において特別研究会を開催する予定です。自由参加ですので、ぜひ多数の方にご参加いただきたく、謹んでご案内申し上げる次第です。
                    記
日時:2019年8月3日(土)
14:00~18:00
会場:立命館大学究論館プレゼンテーションルームA&B

発表内容
1.丸山真男「弁証法的な全体主義」と人民戦線
-一連の書評群をてがかりに-
平石知久(関西学院大学)

2.柳田國男とチェンバレン
-「西洋」神道研究との交錯-(仮)
渡勇輝(仏教大学)

3.藤澤親雄の世界認識
-「国際的民本主義」から「人類の祖国日本」へ-(仮)
中井悠貴(立命館大学)
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2019年6月25日(火)例会予報

論題:結核菌を飼い慣らす――戦前期日本の通俗医学書・雑誌における結核の発病予防をめぐる言説
報告者:塩野麻子

要旨:
近代日本の結核予防をめぐる歴史研究は主として政策や制度に着目してきた。これらの政策や制度は、医家が回想するように「もっぱら伝染防止に重点がおかれていた」1ため、先行研究の多くは、結核を予防するための衛生実践を都市空間やそのなかで生活する集団に向けられたものとして捉えてきた。これに対して本報告は結核と個別の身体との関わりに焦点をあてる。医者や医学者が一般大衆へ向けて医学や衛生に関する知識を提供した通俗医学書・雑誌を分析資料とし、日常生活のレベルで密着した結核予防をめぐる医者や医学者による記述を検討する。
これにあたって、医学研究の場では20世紀初頭から1930年代までは、西洋の医学的知である、多くの人々は小児期に結核菌の感染を経過しているという見解が日本においても支配的であったこと、またこうした考えが特に1920年代から通俗医学書・雑誌を通じて広く発信されるようになっていたことは極めて重要である。誰しもが結核菌に感染していることを前提に、菌を内包する身体への不断の管理統制が促された可能性が示唆されるからである。
本報告は、1920年代から30年代までの通俗医学書・雑誌における、病原菌の感染を前提とした結核の発病予防の記述を分析・検討する。これらで論じられたのは、寄生した病原菌を体外へ駆逐することではなく、むしろ病原菌を結核に対する免疫を与えるものとして体内で手懐けること、すなわち「結核菌を飼いならす」技法であった。

主要参考文献
原栄『肺病予防療養教則』〔大改訂第17版〕吐凰堂、1921年。
岡治道「結核予防問題ト其体系」『結核』第10巻第1号(1932年)、39-51頁。
宮原立太郎『肺の発病予防とその治療』三成社、1931年。
遠山椿吉「結核の感染予防と発病予防の極意」『通俗医学』第4巻第6号(1926年)、21-23頁。
青木純一『結核の社会史――国民病対策の組織化と結核患者の実像を追って』御茶の水書房、2004年。
福田眞人『結核の文化史――近代日本における病のイメージ』名古屋大学出版会、1995年。
成田龍一「衛生意識の定着と「美のくさり」――一九二〇年代、女性の身体をめぐる一局面」『日本史研究』第366号(1993年)、64-89頁。
常石敬一『結核と日本人――医療政策を検証する』岩波書店、2011年。
William Johnston, The Modern Epidemic: A History of Tuberculosis in Japan (Cambridge: Harvard University Press 1995)
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2019年6月11日(火)例会予報

論題:竹内好・加藤周一の「近代主義」と「西洋」 ―「論争的関係」に着目して―(仮)
報告者: 福井優

要旨 :
中国文学者・評論家、竹内好(1910–77)と評論家、加藤周一(1919–2008)は、その思想的営為において、共に戦後日本の近代化(=民主化)の実現可能性を追求し続けた「近代主義」的知識人である。
戦後日本は、敗戦により他者としての「西洋」との全面的接触が起こり、それによって近代化が外発的にもたらされた。両者は、このような「第二の開国」(丸山眞男、神島二郎)の状況を問題視し、外発的な近代化という事実を、いかにして日本社会の内発的な近代化へと転換できるか、また、人々の内部に、内発的な近代化を推進する主体的エネルギーをいかにしてつくり出すか、という問題を考えた。しかし、同様の問題意識に立脚しながらも、両者のそれへの解答は、様相を異にするものとなる。それは、日本における近代化の主体的エネルギーとして、竹内が見出したのは「西洋」に対する〈抵抗〉であり、加藤の場合は「西洋」との〈雑種〉であった。そして、両者の間では、敗戦直後から1950年代にかけて、この問題を巡り、論争が展開された。
本報告では、竹内「中国の近代化と日本の近代化」(1948)、加藤「日本文化の雑種性」(1954)を中心的なテキストとして、両者の「論争的関係」に着目する。その上で、他者としての「西洋」との接触がもたらした、戦後日本の近代化という問題を巡る竹内と加藤との思想的格闘を再現する。

主な参考文献
・加藤周一『加藤周一著作集7 近代日本の文明史的位置』平凡社、1979年
・竹内好『日本とアジア』ちくま学芸文庫、1993年。初出は1966年

・海老坂武「雑種文化論をめぐって――加藤周一を読むこと」『戦後思想の模索――森有正、加藤周一を読む』みすず書房、1981年
・小関素明「加藤周一の精神史――性愛、詩的言語とデモクラシー」『立命館大学人文科学研究所紀要』111号、2017年
・佐藤泉「挑戦者と普遍主義――加藤周一の竹内好評について」『現代思想』2009年7月臨時増刊号
・同「第一章 竹内好」『一九五〇年代、批評の政治学』中公叢書、2018年
・孫歌『竹内好という問い』岩波書店、2005年
・日高六郎「解説 戦後の「近代主義」」同編『現代日本思想大系34 近代主義』筑摩書房、1964年
・鷲巣力『加藤周一を読む――「理」の人にして「情」の人』岩波書店、2011年
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「憲法草稿評林」と明治の憲法思想

論題:「憲法草稿評林」と明治の憲法思想

報告者:路剣虹

要旨:
明治憲法はアジア国家の最初の憲法いわれる。あるいは、アジアにおいて、始めて成功した事実上の憲法というほうが相応しい。なぜなら、オスマン帝国はアジアの国家として、一九七六年、憲法を公布したが、わずか二年間で中止されたのである。そして、なぜ日本の明治憲法が成功したかについて、新井政美は両国の憲法の成立を比較し、上記の問題を検討してみた。新井の結論を敷衍すれば、それは「伝統と近代との調和」ともいうべき、今回の「西洋という他者」の視座からみれば、つまり、自己と他者との間の調和が成功したのである。
明治憲法の成立とは、明治一五年、伊藤博文の欧州へ旅立った事件を始まりと見なすほうが相応しいと考えられる。なぜなら、一〇年前の岩倉遣欧使節団の欧州考察と比べ、伊藤博文の調査の目標が明確であった。それは井上毅を代表とする政府指導層は、ドイツ憲法をモデルとして、明治憲法を作成する意欲を明らかに表明したのである。つまり、それは明治憲法の始まりともいえる。しかし、それは明治の憲法思想の始まりではないのである。明治の憲法思想の始まりは、岩倉遣欧使節団の出発と並行した、数多くの憲法草案の作成であった。そしてそれらの憲法思想は、一八七五年立憲政体の詔書が公布された後、流布しているさまざまな憲法草案において存しているのである。今回の報告において、「憲法草稿評林」という資料から、明治の憲法思想の起源を含味し、そこに含む伝統と近代との調和、あるいは、自己と他者との調和を思索する。その上で、その憲法思想が帝国憲法の成立以後の影響をも論じてみたい。


参考文献及び資料:
新井政美『憲法誕生――明治日本とオスマン帝国 二つの近代』、河出書房新社、二〇一五年。
瀧井一博『文明史のなかの明治憲法――この国のかたちと西洋体験』、講談社、二〇〇三年。
小西豊治『もう一つの天皇制構想――小田為綱文書「憲法草稿評林」の世界』お茶の水書房、一九八九年。
『大久保利通文書』、東京大学出版会、一九六八年。
上杉愼吉『帝國憲法』、清水書店、一九〇五年。
伊藤博文『帝國憲法皇室典範義解』(五版)、一九〇四年。
穗積八束『穗積八束集』、信山社、二〇〇一年。
佐々木惣一『立憲非立憲(国民普及版)』、弘文堂書房、一九二〇年(初版一九一八年)。
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