日本思想史研究会ディスカッション 題目:「丸山眞男と吉本隆明――戦後「民衆」論の対立と交錯」
日時:2021年2月23日(火)17時~(19時から懇親会を予定)
会場:Zoomでオンライン開催
参加を御希望の方は、2月22日までに下記のメールアドレスに御連絡を下さい。
shisoshiken@gmail.com
内容:
報告1「丸山眞男の「大衆」観――変革可能性の模索」
平石知久(関西学院大学)
報告2「戦後日本における吉本隆明の大衆論の射程と市民民主主義」
王小梅(神戸大学大学院)
報告3「丸山学派と「民衆」――神島二郎と藤田省三を中心に」
福井優(立命館大学大学院)
講読文献:
丸山眞男・佐藤昇「現代における革命の論理」『丸山眞男座談』4巻、岩波書店、1998年、138~151頁
吉本隆明「情況とはなにか」『吉本隆明全著作集』13巻、勁草書房、1969年、337~372頁

題目: 丸山眞男の「民」観の変遷―変革の主体は「市民」か「大衆」か―
発表者: 関西学院大学法学研究科研究員 平石知久
日時: 2021年1月19日(火)18時~
場所: Zoomでオンライン開催(参加希望者は前日までにshisoshiken@gmail.comにご連絡ください。)
戦後民主主義の理論的旗手であった丸山眞男は、その担い手として「近代的主体」を想定していた。南原繁らオールドリベラリストの強固な内面を評価した丸山は、西洋近代的な「市民」の存在を重視していたと理解される。そしてその「市民」という概念には政治という公的なものへの参与が伴う。
しかし吉本隆明からの批判に代表されるように、ここには私的なものの存在が軽視される結果になる。それは現代の視点から見れば、男性の公的生活を支えるために私的空間に抑圧されてきた女性の解放を求めるフェミニズム論からの批判を免れない限界を持つ。
本報告では、ある特定の集団としての人々―便宜上ここでは「民」とする―に対して、丸山は政治上どのような役割を期待していたのか、そしてそれはどのように変化して来たのかを時系列的に整序する。これにより、「市民」や「国民」を重視する丸山とは別の、私的側面、ひいては「大衆」を重視する丸山の側面を描くことを企図する。
参考文献
飯田泰三『戦後精神の光芒 丸山眞男と藤田省三を読むために』,みすず書房,2006
池田元『山思想史学の位相―「日本近代」と民衆心性』, 論創社,2004
大隅和雄(著),平石直昭(編)『思想史家 丸山眞男論』, ぺりかん社,2002
田中久文『丸山眞男を読みなおす』,講談社・選書・メチエ,2009
西村稔『丸山眞男の教養思想』,名古屋大学出版,2019
間宮陽介『丸山眞男を読む』,岩波現代文庫,2014
丸山眞男『丸山眞男全集』(特に第三巻以降), 岩波書店,1996
丸山眞男『丸山眞男座談』(特に第一巻),岩波書店,1998
丸山眞男『丸山眞男講義録』第四冊,東京大学出版会,1998
吉田傑俊『丸山眞男と戦後思想』,大月書店,2013
題目: 「柳田ブーム」と「国家神道」論―1970年代の動向をめぐって―
発表者: 佛教大学大学院文学研究科 渡 勇輝
日時: 2021年1月12日(火)18時~
場所: Zoomでオンライン開催(参加希望者は前日までにshisoshiken@gmail.comにご連絡ください。)
主旨:
柳田国男(1875-1962)の提示した「固有信仰」論は、民族的宗教としての「神道」概念を強固にして、戦後日本において「国家神道」に代わる機能をもったとされている。柳田の言説が戦後神道に影響力をもったことは間違いないが、この問題をさらに進めるためには、柳田のテキスト分析とともに、柳田がいかに再発見されてきたのかという同時代的な文脈にも注意する必要があるだろう。
近年、村上重良の「国家神道」論が1970年代の時代状況のなかから読みなおされるにあたって、本報告では「柳田ブーム」と呼ばれる現象がまさにこの時代に展開してきたことに注目する。このような潮流がいかに連関していたのか、同時代状況の把握を試みたい。
参考文献:
井上寛司『日本の神社と「神道」』(校倉書房、2006年)
福田アジオ『現代日本の民俗学―ポスト柳田の五〇年』(吉川弘文館、2014年)
村上重良『国家神道』(岩波新書、1970年)
安丸良夫・喜安朗編『戦後知の可能性―歴史・宗教・民衆』(山川出版社、2010年)
山口輝臣編『戦後史のなかの「国家神道」』(山川出版社、2018年)