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日本思想史研究会(京都)のブログ

本研究会は立命館大学を拠点に、歴史学・思想史の問題について時代・地域に捉われることなく、深く考えていく場として設立されました。

2020年1月18日特別研究会

1月18日(土)に特別研究会を以下のように行いますので、お知らせいたします。

日時 1月18日13:30~
場所 立命館大学究論館プレゼンテーションルームA&B

内容
報告1
「近代神道史のなかの「神道私見論争」」
           仏教大学 渡勇輝

報告2
「道祥と春瑜の『日本書紀私見聞』ー室町期伊勢における日本紀注釈をめぐってー」
仏教大学 星優也

報告3
「山鹿素行の三民統制論」
        西安外国語大学 中嶋英介

ポスターも添付いたします。
皆様のご参加をお待ちしております。
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2019年12月17日(火)例会予告

論題:宝暦度通信使と日本文士の交流――近世後期日本における正学派朱子学の形成を視野に入れ
報告者:松本智也

 近世日朝関係は一二回にわたる通信使外交を基軸として展開してきた。このうち江戸で迎えた最後の朝鮮通信使は、宝暦一三年(癸未=一七六三)八月から翌年七月にかけて、徳川家治の将軍襲職を祝賀する名目で朝鮮から日本に派遣された宝暦度通信使である。その次回にあたる文化度通信使(文化八年=辛未=一八一一)は徳川家斉の将軍襲職を祝賀する名目で派遣されたが、規模を縮小して江戸ではなく対馬で儀礼を挙行するかたちとして行なわれた(易地聘礼)。しかしそれ以後通信使が実現しなくなり、結果的に文化度通信使が「最終回」となる。
 宝暦度通信使についての研究は数多ある。たとえば通信使と日本文士の筆談を通じた交流をめぐっては、近年では徂徠学系儒者と通信使との間に生じた論争をめぐる論点が深化している。これらの研究は「競争」「文戦」の局面にナショナリズムの萌芽を見出し、そこから「近代」を展望する傾向にあった。それにたいし本報告では、一八世紀後期の日本で徂徠学にたいする批判を経て朱子学を重視する動き(朱子学正学派)が現れ、それが寛政異学の禁を準備することになるという流れを念頭に置き、宝暦度通信使と日本文士との交流がそうした流れにどのように位置づけられるのかを考えたい。
 そこで本報告ではつぎのとおり課題を設定する。第一に、宝暦度通信使と日本文士の交流のなかに、徂徠学にたいする批判や朱子学を称揚する要素が具体的にどのようなかたちであらわれてくるのか。第二に、易地聘礼方針は宝暦度通信使との交流に現われた何を問題としどのように解決しようとしたのか。

主要参考文献
河宇鳳「朝鮮時代後期の通信使使行員の日本認識――一七六四年甲申通信使の元重挙を中心に」(同『朝鮮王朝時代の世界観と日本認識』明石書店、二〇〇八年)
夫馬進「朝鮮通信使による日本古学の認識」「一七六四年朝鮮通信使と日本の徂徠学」(同『朝鮮燕行使と朝鮮通信使』名古屋大学出版会、二〇一五年)
藍弘岳「朝鮮と徂徠学派」(同『漢文圏における荻生徂徠』東京大学出版会、二〇一七年)

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2019年12月10日(火)例会予告

論題:戦間期日本の逓信省・改正電気事業法体制の再検討
―T.P.Hughes の「電力システム」アプローチを中心に―
報告者:内川 隆文(東京外国語大学大学院博士後期課程)
報告日時:2019 年 12 月 10 日(火)18 時 00 分
会場:立命館大学究論館プレゼンテーションルーム A&B

要旨
  戦前・戦間期日本電力業については既に豊富な研究実績が経営史を中心に存在し、それらによれば同業に対する 評価は概ね次のようなものであった。すなわち1883年に日本最初の電力会社・東京電灯株式会社が設立されて以来、民営を中心として発展した電力業は経営者の創造性や技術的先見性に支えられて政府から自律的に発展した。電力業の公益性と民営企業の私企業精神は時として対立し、たとえば1920 年代には関東・中京・京阪神といった電力の需用地帯を中心に過当競争「電力戦」が発生したが、1931年4月に改正電気事業法が成立して以降は安定的な事業として成長した。しかしながら1936 年に勃発した二・二六事件以後、逓信省内で台頭した大和田悌二や奥村喜和男などの革新官僚と革新左翼・社会大衆党の主導により1939 年 4 月に電力国家管理法が施行されたことで既存の民営電力会社は国策会社・日本発送電株式会社に吸収合併された。ここにおいて改正電気事業法に基づく体 制(以降、改正法体制)は終焉し、電力業は政府の強度な干渉に基づく電力国家管理体制(以降、国管体制)に移行し た。つまり国管は明治以来続いた民営を中心とする電力業発達の中断期であり、その復活は戦後の1950年代まで待 たなければならなかった。
  本報告では経営史分野における蓄積を踏まえつつ、戦前の民営中心の電力業体制をこれまでとは違う角度から再検討する。具体的には20 世紀初頭の米・独・英の3 カ国の電力業を比較・検討したT.P.Hughes の「電力システム」アプローチを使用し、従来民営中心に発展した電力業が「逆・突出部」の解消によって発展した1 つのシステムであったことを明らかにする。次に「逆・突出部」の解決によって自律的・循環的に発展した電力システムを「民営を主とする自然の発達」と捉えた改正法体制期の逓信省官僚・清水順治の電気事業観を検討する。最後に、電力システムの全国的な統合・発展が合理的であると捉えた逓信省の政策が各地方や需要家の反発を招き、1930 年代の電力国家管理の成立要因を形成した点を考察する。実際、内務省は「最近電気料金の値下問題に関し地方に頻々と紛擾を惹起し治安上重大化するに至つたものも少くない」ことから「改正電気事業法に於て届出主義を認可主義に改正ししかも地方の事情に疎き逓信大臣の専管に」されたことに危機感を募らせていたが、その不安は現実のものとなった。先行研究で既に明らかにされているように無産党を中心とした電気料値下げ運動は改正法が成立した1930 年初頭から急速に拡大したのである。
  以上の考察から、本報告では国管以前の電力業をT.P.Hughes が指摘したような「逆・突出部」の連続的な解決によるシステム発展の歴史と捉え、1931 年 4 月に成立した改正法がその延長線上にあったことを明らかにする。それは専門官僚制の発達を背景に内務省の権限を蚕食しようとする当時の逓信省の方針とも合致し、電力業の公営化を推進しようとする内務省の試みは電力システム発展の合理性を建前とする逓信省によって押し切られた。しかしながらシステムとしての電力業の合理性を念頭に置いた逓信省の電力政策は各地方の需用家の利害と衝突し、その過程で反動勢力を育てる側面も併せ持っていた。反動勢力の一方は戦間期以来電気料値下げ運動に取り組む無産党であり、1932 年設立の社会大衆党は国管推進の急先鋒に立った。他方、逓信省内部にも反対勢力が形成され、
  1936 年3 月に逓信省電気局長に就任し、国管を強力に推進する大和田悌二はその代表的人物であった。つまり、民営事業を中心とする戦前・戦間期日本電力業のシステムとしての「合理性」は政治・社会的な反発を引き起こし、同業が国管という真逆の方向への転換を余儀なくされる要因を形成したのである。
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2019年12月3日(火)例会予報

論題:勝海舟の中国認識と対中政策について
発表者:張 夢鴿 (チョウ ムコウ)

  勝海舟は幕末から明治期にかけての転換期に活躍していた政治家として、その中国認識は興味深いものである。先行研究において、とくに特筆すべきなのは松浦玲氏によるさまざまな海舟関係の著作である。その中には、海舟が「アジア同盟論者」または対中友好派のように形作られている。一方、劉氏は松浦玲の主張に対し、海舟には戦争への賛成・支持という側面もあると指摘しており、より全体的な中国像を求めている。しかし、多くの先行研究は、海舟の中国認識を一貫しているもののように論じてきたが、海舟の中国認識は、彼が置かれた時代背景や自国の状況、または彼自身の立場など、多くの要素によって多少変化があるわけである。とくに維新後、日本は近代化と西洋化への道を進んでいく中、海舟の中国認識と対中政策はどのようなものなのか、どのように転換したのか、ということを検討する必要があると考える。
そこで本発表において、海舟の建白書、日記、書簡など、現存する史料に基づき、勝海舟の青年期から死去までの期間を対象に通時的考察を行い、海舟の中国認識および対中政策のあり方、その背景などを明らかにし、それを通じてより全面的な海舟像をとらえようとする。


参考文献
江藤淳・松浦玲『勝海舟全集』(講談社、1972年)
勝部真長『勝海舟全集』(勁草書房、1972年)
松浦玲『勝海舟と幕末明治』(講談社、昭和四十八年)
劉岳兵「勝海舟的中国認識-兼与松浦玲先生商榷」(『南開学報(哲学社会科学版)』第一号、2012年)
穎原善徳「日清戦争期日本の対外観」(歴史学研究 (663)、1994 年)
岡崎正道「近代日本の対外観」(岩手大学人文社会科学部『アルテスリベラレス』(54)、1994年)
小島晋治「日本人の中国観の変
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2019年11月26日(火)例会予告

論題:「国際的民本主義」から「人類の祖国日本」へ
      ――藤澤親雄の世界認識――
報告者: 中井悠貴

○要旨
本発表では、「日本主義政治学」者である藤澤親雄(1893-62)の世界認識について分析する。
彼は、第一次世界大戦(以下、「大戦」と略記)後の普遍主義的国際秩序観の勃興を「国際的民本主義」として謳い、言論活動を開始、渡欧し、国際連盟に勤めるも、帰国後に「日本回帰」を急進的に遂げ、昭和戦時体制期には「日本主義政治学」の理論的リーダーの1人となった。そして、「日本主義政治学」の体系化に努める中、『竹内文献』等の「偽書」を用いつつ「人類の祖国日本」なる世界認識を高唱、「皇国太古史」を高唱する代表的イデオローグにまでなる。このように彼は、昭和戦時体制期に一定の地位を占めていた日本主義者であったが、その「日本主義政治学」とは、一種の「日本主義国際政治学」の側面を強く有するなど、彼の思想において世界認識は重要な位置を占めているものと考えられる。
本発表では、藤澤の「日本回帰」後のみを分析するものが多い中、回帰前も分析している研究が、いずれも、その回帰を「明らかな変化」と捉えているのに対し、「人類の祖国日本」説とは、回帰前に謳っていた大戦後の普遍主義的国際秩序観の潮流自体は否定せず、連盟での経験により、それを国体の国際政治思想化でこそ実現可能であると読み替えた結果であるという点、また、「世界=日本」とするまでに至る世界認識は、既に「国際的民本主義」自体に逆説的な形で胚胎されていたという点で論理内在性があったという観点から、日本で大戦後の欧米の普遍主義的国際秩序観を最もよく示したといわれる吉野作造(1878-1933)の「国際民主主義」との比較を行いつつ、分析する。そして、それにより、普遍主義的国際秩序観という大戦の思想的影響が、その肯定という形で、国体を「普遍化」させてゆく昭和戦時体制期のナショナリズムの主潮へも流れ込んでゆく一例と、その要因を示したい。

○主要参考文献
臼井裕之「国際派からオカルト・ナショナリストへ~藤澤親雄の足跡を追う~」(『エスペラント研究』第4号、2010年)
大塚桂『大東亜戦争期の政治学』(成文堂、2007年)
坂本是丸「昭和戦前期の『神道と社会』に関する素描――神道的イデオロギー用語を軸にして――」(國學院大學研究開発推進センター編『昭和前期の神道と社会』弘文堂、2016年)
佐藤太久磨「『国際民主主義』から『東洋モンロー主義』へ――吉野作造の国際政治思想――」(『ヒストリア』第220号、2010年)
長谷川亮一『「皇国史観」という問題』(白澤社、2008年)
藤村一郎『吉野作造の国際政治論』(有志舎、2012年)
森本和男『文化財の社会史 近現代史と伝統文化の変遷』(彩流社、2010年)
ウルリッヒ・リンス(栗栖継訳)『危険な言語――迫害のなかのエスペラント――』(岩波書店、1975年)
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