日本思想史研究会(京都)のブログ

本研究会は立命館大学を拠点に、歴史学・思想史の問題について時代・地域に捉われることなく、深く考えていく場として設立されました。2014年度後期例会は、個人研究テーマ報告です。

2017年1月12日 例会報告要旨

論題:「柳宗悦とシャルロット・ペリアンの共鳴 ―1941年のペリアンによる展覧会を中心に―」
報告者:後藤智絵

柳宗悦は旺盛な執筆活動の中で、〈民芸〉以外の工芸をことごとく辛辣に批評していた。本報告では、フランス人デザイナーであるシャルロット・ペリアンの日本における産業工芸の仕事を柳が高く評価したことに着目し、柳が認めたペリアンの仕事の概要をまとめ、柳とペリアンの共通項と二人の関係性を確認した。
 ペリアンは1940年に1年間の契約で、「工芸品意匠図案ノ改善」のために商工省貿易局から当時の大臣よりも高い月給で招聘された。日本の工芸品の改良のためには、日本の伝統を踏まえるべきであると考えるペリアンにとって、柳は最も日本の伝統に精通した人物として捉えられていた。柳は当時、民芸論の建立から20年以上を経ていて、日本民芸館の館長をしながら地方の工芸の振興に取り組んでいた。ペリアンは柳から日本の工芸の情報を得ながら、日本での任務の集大成である「ペリアン女子日本創作品展覧会 2601年住宅内部設備への一示唆 選択 伝統 創造」というタイトルの展覧会を開催した。本報告では、この展覧会の図録に収められたペリアンの解説や、展覧会批評を中心とした文献を取り上げて解読した。
 このことから、柳とペリアンにはいくつかの共通項があることを確認し、同時に、ペリアンは柳の民芸運動に対して実は注意深く距離をおいていた様子もみることができた。つまり、柳が民芸運動を通して、日本の美のあるべき姿という基準を創造しようとしていたことに対しては、同調していたとは言うことが出来ず、むしろ民芸運動の本丸はそこにあることが読み取れたのである。しかし本報告では、二人の齟齬よりも共鳴しているところに重点をおいた。なぜなら、日本の工芸が日本らしさを国内外から問われはじめたこの当時、少なくともその指導を任されたペリアンの目には最も注目に値する作品群として、柳が見出した〈民芸〉の領域が選ばれたことは揺るぎなく、ペリアンの展覧会は、二人の共鳴を示しているといえるからである。

文責 後藤智絵
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1月19日 例会予告

報告者
佐藤由隆さん(大阪大学)

タイトル
五井蘭洲と中井履軒の知行論をめぐる議論について

参考文献

・陶徳民『懐徳堂朱子学の研究』(大阪大学出版会、1994)
 序論「近世儒学史における懐徳堂朱子学の位置」1-24頁
 第一章第二節「「格物窮理」論」62-81頁

・源了圓編『江戸の儒学――『大学』受容の歴史』(思文閣出版、1988)
 田尻祐一郎「懐徳堂学派」157-175頁

・阿部吉雄『日本朱子学と朝鮮』(東京大学出版会、1965)
 第四篇第一章「朱子理気哲学の分解と二派の系譜及び特質」491-534頁

・嚴錫仁『東アジアにおける日本朱子学の位相』(勉誠出版、2015)
 第二章「崎門学派と李退渓・薛敬軒・羅整菴」67-116頁
 補論Ⅰ「朱子思想の性格」239-279頁

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例会後、懇親会を予定しております。
場所:串しずか
時間:19時45分〜

よろしくお願いします。
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2017年1月12日例会予告

木曜(1月12日)の例会につき、岡山大学からお越しいただく後藤智絵さんがご報告します。
つきましては報告テーマと参考文献についてご連絡します。以下の通りです。

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報告者
岡山大学後藤智絵さん

報告タイトル
「柳宗悦とシャルロット・ペリアンの共鳴について―1941年に開催されたペリアンによる展覧会を中心に―」

参考文献

・柳宗悦「日本民芸協会の提案」復刻版『月刊民藝・民藝』第4巻、不二出版、2008年
 初出:『月刊民藝』第2巻第10号、1940年10月

・柳宗悦・濱田庄司「ペリアンの展覧会をみて」復刻版『月刊民藝・民藝』第5巻、2008年
 初出:『月刊民藝』第3巻第3号、1941年4月
・「工芸座談会ペリアン女史創作品展について聴く」森仁史・梅宮弘光編、叢書・近代日本のデ ザイン68『論文選 昭和篇』ゆまに書房、2015年、292〜309頁
 初出:『工芸ニュース』第10巻第5号・第6号、1941年

・「第二回貿易局輸出工藝図案展覧会講評」森仁史・梅宮弘光編、叢書・近代日本のデザイン68『論文選 昭和篇』ゆまに書房、2015年、248〜266頁
 初出:柳宗理監修『輸出工芸』第6号、1941年

・シャルロット・ペリアンと日本研究会編『シャルロット・ペリアンと日本』鹿島出版会、2011年
以下省略

*例会終了後、懇親会を催す予定です。多くのご参加お願い申し上げます。
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12月22日 例会報告予告

論題: 「植民地朝鮮における近代百貨店の社会的位相(仮)
報告者:崔理愛

参考文献 

・末田智樹『社史で見る日本経済史第54巻 三越』ゆまに書房、2011年

・林廣茂『三中井百貨店』ノンヒョン、2007年

・森山茂徳「植民地統治と朝鮮人の対応」韓日歴史合同研究報告書5、2005年

・キム・ベクヨン「帝国のスペクタクル効果と植民地大衆の都市経験‐1930年代ソウルの百貨店と消費文化」『社会と歴史』第75、2007年

・キム・ソヨン「1930年代雑誌に現れた近代百貨店の社会的意味」『大韓建築学会』 第25巻、2009年

・ヨム・ボクギュ「民族と欲望のランドマーク-朴興植と和信百貨店-」『都市研究』第6号、2011年

・オ・ジンソク「日帝下パク・フンシクの企業家活動と経営理念」『東方学誌』第118号、2002年

などです。



それでは、よろしくお願いいたします。
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12月15日例会報告要旨

論題:「「東アジアの覚醒」と「大正デモクラシー」の相克と相乗
    ―大正期における三一・五四運動へのメディアと知識人の認識を手がかりに―」
報告者 張琳

 1919年で勃発した植民地朝鮮の「三・一運動」及び中華民国の「五・四運動」に関しての先行研究の蓄積は厚い。しかし近年歴史学研究における認識論的・情動論的転回によるメディア史研究の進展に伴い、運動の実態とともに、同時代のメディアのなかで表象された運動像、メディア側での報道手法、メディア権力批判、あるいは人々の認識、感情、反応、行動については研究されるようになりつつある。ただ常に看過されているのは、この特殊な時期の国際的・外部的動向である。とりわけ「パクス・ブリタニカ」の崩壊を象徴する第一次世界大戦におけるアメリカの台頭は、この時期の後進帝国日本にとって、意味の深いものであった。戦後、さらにアジアでの勢力拡大を求める日本は、必然的に新しいヘゲモニー国家アメリカと遭遇する。加えて19世紀末から海洋覇権を「発見」し、第一次世界大戦後積極的に海洋国家を目指すアメリカは、19世紀末から唱えられ始めた「黄禍論」 の影のもとで、日露戦争以降アメリカによる日系移民制限など人種的差別政策は戦後一層熾烈に展開されるなか、帝国日本と(半)植民地の関係は、常にこのスーパーパワー源との緊張関係の規定の中で展開されている。さらに1918年夏のシベリア出兵に対するロシア側および朝鮮義兵の挟撃も、1919年から1920年にかけて帝国日本のジャーナリズム界にとっては「排日」に違いないと認識されていた。大戦後、勢力拡大の動きにおける一連の挫折によって、一時期日本は「四面楚歌」の境地に陥るなか、メディアナショナリズムの高まりないし大衆・知識人のナショナリズムの高揚は不可避のものとなっていく。危機感に駆り立てられた知識人は「帝国改造」を高唱しつつ行動し始め、「大正デモクラシー」と護憲運動の風潮、コスモポリタニズムや社会主義に基づくインタナショナルな連帯の試み、アジア主義の国内への旋回はこの時期の思想界の主旋律となる。当該期このようなメディアと知識人両方の動向は極めて顕著な形で現れてきたのにも関わらず、先行研究では具体的、あるいは両者を関係付けて取り上げられたことは殆どない。本論文では「三・一運動」「五・四運動」という植民地・半植民地のナショナリズム運動に対し、「白虹事件」後、中立・慎重路線に傾けた『朝日新聞』の論調変化及び両運動を真正面から受け止め、「帝国改造」を唱えて積極的な行動をも見せる二人の知識人――北一輝と吉野作造を取り上げることによって、「後進帝国」と「植民地」間のナショナリズムの衝突と葛藤を明らかにし、「後進帝国」ナショナリズムに表象された、列強の人種主義的論理を内面化して転嫁する「植民地」に対した人種的蔑視、憎悪、鎮圧、弱者への同情、反抗者への懐柔、そして「先進帝国」へ強者入りの渇望、アジアを引導する自負、また列強の翻弄に由来した反発といった複雑な時代状況下に生まれたアンビバレンスな感情と思潮を一部再考した。
 
文責 張琳
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